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第256号  旅の想い出(前半)

 時折余震を起こしながら、福島原子力発電のメルトダウンによる放射能の公害も未完のまま、あの3月の大地震、大津波の到来以来早くも4ヶ月余が経過した。

 思えば、1999年の9月に友人と伴に1週間程東北地方を旅したことがあった。
 岩手県の宮古にも数日滞在し、風光明媚で名高い浄土ヶ浜を観光した時のことを思い出した。浜の呼称の由来は、海へ向かって連立する白く輝く岩磐の形状と洋々と蒼(あお)く波打つ海と、入江が織り成す自然美がこの世の存在を凌駕(りょうが)するほどの美しさから発祥したものだという。浜には、「宮沢賢治」の歌が掘り込まれた碑があり、賢治がこの地の景勝に感銘していたことが伺えた。

 だが、如何せん、この地も3月の怒涛に荒れ狂う大津波の襲撃を受けた。
 普段なら観光客で船内が満席となる観光船の周遊もなく、高台にあり、景勝を一望に望める観光ホテルは、難を逃れたものの、滞在客は、瓦礫等の撤去、復旧作業にあたるボランティアや工事関係者のみである。

 旅行で滞在した宮古市内の旅館のオーナーが、夕食後の部屋の片づけの際に何気なくかわした会話のなかで語った「源義経」の伝説(?)。この旅館の近くに義経神社がある。義経は、密かに小舟で北海道へ逃避し、生き延びたとのこと。正直、最初は、何言ってるんだろうと耳を疑ったが、この辺の住人は、皆生き延びたことを信じているそうだ。異説にモンゴルにわたり「ジンギスハーン」になり、鎌倉幕府が統治する日本へ攻め寄ったという話もある。
 こうした土地の人の話は、特段信憑性はないけれども、なんとなく夢があるように思う。宮沢賢治の作品のなかでの銀河鉄道は、現実から離れた創造性に富む物語で、今でも人の好奇を夢の世界へ誘う。

 3月11日以降は、津波による壊滅的な被害を受けた、瓦礫と化した地をどう復興するかが目の前にある現実だ。あのオーナーは、どうしているだろうか?心の片隅で無事を祈る自分がいる。

 2004年インドネシア・スマトラ沖地震による津波は、猛威をふるって沿岸各地を襲った。
 スリランカ南端のゴールも被災地となった。その2年前にヒッカドウでのシュノーケリング等海遊びの後で、コロンボへの帰途に立ち寄ったゴールの港に途中下車した。雨あがりの海岸に映える夕焼けは、絵に描きたいほど見事で、しばし、車から降りて景観に見とれていた。ゴールの岸壁は、壮大でインド洋が広々と面前に現れる。以前、ドイツ軍の要塞があったというが水平線の彼方まで見渡しがよくきく。近くにある古式豊かなドイツ人の建てたオリエンタルホテルで休憩した。支配人の案内でホテル館内や、客室を見学させてくれた。胡椒等、東洋との貿易が盛んであったころに建設されたホテルとのことで其の時代の絵が今でも壁にかけられており、家具もそのころのままである。現在も欧州人の宿泊客が散見された。なんとも、古い伝統建造物という印象が強い。

 津波の襲来でこのゴールも被災地となり、多くの住人が家族肉親を失い、避難を余儀なくされた。あの壮大な岸壁に打ち寄せる波は、常時は、見事な景観でも、ひとたび地震が起こり、津波が発生すると甚大な被害を受ける。

 親日家の多いスリランカの人々や古いホテルは、どうなったのか、時折、想い出す。 (Y.S.)

〜 旅の思い出(後半)に続く 〜

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