PARTNER 国際協力キャリア総合情報サイト PARTNERニュース・コラム(第257号)

第257号  旅の想い出(後半)

 2005年、米国南部を襲ったハリケーン・カトリーナによりルイジアナ州のニューオリンズ市は、特に甚大な被害を受けた。市の8割が冠水したという。

 30年以上も昔にこの地を訪れたことがあった。
 ロスアンゼルス空港からニューオリンズへの乗り換え便の乗客は、ほとんどが黒人であった。デルタラインで空港に到着し、乗り込んだシャトルバスの乗客もドライバーも黒人だった。
 フレンチクオーター、バーボンストリートにあるホテルに滞在したが、ライブハウスが林立し、ホテルを出て、ストリートを歩いているだけでそこらじゅうの店から演奏されるジャズソングが聞こえてくる。ネオンに輝き、黒人の若いトランぺッターが夕刻から真夜中まで路上で汗まみれになって演奏している。ジャクソンスクウェアでは、老若男女がジャズのメロディに合わせてそれぞれ自由にダンスして余暇をエンジョイしている。
 ホテルの宿泊客は、当時(1981年)テレビで放映されるチャールズ皇太子とダイアナ嬢のウェデイングの放送を見るのを楽しみに口々に挙式を話題にしながら観光を済ませてホテルへ戻ってきた。

 この頃、既にニューオリンズには、ドーム球場が稼働していた。日本では、当事、後楽園にはドーム球場はなく、オープンエアーの野球場で観戦していた。ミシシッピー川の蒸気船での観光、船上パーティでの歌とダンスに興じていた。そんな観光地をカトリーナは、衝撃し、市の大方は、水没し、遺体が流れている、街並みは、一瞬に廃墟と化した。
 幸いにも、フレンチクオーターは、水没を免れたが、ドーム球場は、被災者の避難場所となった。デキシーランドジャズ発祥の地がこうむった被害は大きく、現在でも、特に黒人居住区周辺は、被災から復興されていないと聞く。

 フィアデルフィアへ向かう友人と別れ、ロスアンゼルスにもどり、数日滞在した。
 宿泊先のメイフラワーホテルを出て、夜10時ごろにスーパーマーケットへ日用品の調達のためショッピングに出かけたところ、守衛が大柄な黒人で拳銃を常備しているのには、戸惑った。
 その年の秋に三浦一美さん銃撃事件が勃発し、日本で話題になったが、観光客をむやみに銃撃するほどの危険は、ないように思えた。

 デズニーランドへ向かった。グレイラインの観光バスには、当方を含め、5〜6人ほどの乗客しか同乗していなかった。ゆったり、のんびりした気分に浸れると思ったところ、後方から突然黒人の女性が、隣の座席にやってきて、座っていいか?と尋ねられた。空席がたくさんあるのになぜ?とは、思いつつも、特段、問題ないので、「No!」とは、言わなかった。年齢は、20歳代中頃で、電信柱のように背が高く、民族衣装のようないでたちで木製のサンダルを履いていた。少しずつ会話が始まった。彼女は、当方のことをマイガールと呼ぶ。友人という意味なのか?と怪訝(けげん)におもいながら、どこから来たか尋ねたところ、彼女の職業は、スーダンデプロマ、現在ニューヨークで勤務しているが、その前は、パリ勤務であったという。両親は、スーダンに居住し、彼女がパリ、ニューヨーク勤務となり、一人で暮らすことに大変心配していたとのことだった。3ヶ月のホームリーブ休暇を利用し、帰国せずに、米国中を旅している。ロスアンゼルスのホリデーインに宿泊しているが、移動中に航空機に預けたはずのバゲージが誤送され、現在問い合わせ捜索中とのこと。ロスアンゼルスの後は、ハワイを観光するとのことだった。

 身の上話を聞いているうちに待望のデズニーランドに到着した。遊園地は、盛況で大勢の観客で混雑していた。ミッキーやミニーと一緒に写真を写した。パレードも盛況であった。
 スペースマウンテンは、人気があり、1時間以上の長蛇の列に加わって並び、やっと搭乗できた。コースターが動きだし、揺れ始めると彼女は、隣の席で大声でキャー!!、キャー!!と叫び、怖がって興奮していた。私には、いささか大げさに思えた。

 コースターが終着して降り立たつと彼女は、1時間以上待って、たったの2分で終わりか!と物足りなげにつぶやいた。同感だった。遊園地の土産物ショップで財布を手にしてみていると横から突然、他の財布を取り上げてポケットがたくさん装備されているこの財布のほうが使いやすくていいとアドバイスする。
 当方は、心の中で、なんとも妙な出会いだが、彼女の考え方は、納得いくもので、日本のいつもの友人と一緒に遊園地を周遊している気分であった。
 彼女も首からニコンのカメラ、当方も首からニコンのカメラを下げている。共通点は、日本製のカメラだった。休憩所で二人一緒にアイスクリームを食しているところへ、プエルトリコから来た少年の一団が目の前を通り過ぎる瞬間、二グロ!!、二グロ!!と口々に言いながら前を通り越していった。当方二人とも全くとりあわなかった。

 午後、めぼしいアトラクションを見物、他の乗り物を次々と乗り換えた後、帰途のためバスに乗り込んだ。フランス人の5歳くらいの少女とお婆さんが戻ってきた。興奮で頬を赤くした女の子は、パラダイス!!パラダイス!!と叫んでいた。
 確かにデズニーランドは、いくつになっても童心に戻って楽しめる。パレードとデズニーソングが耳から離れず、少女は、歌って、踊っていた。

 実のところ、二人ともバスに揺られて、気持ちよくウトウトと眠ってしまった。
 バスがロスアンゼルス市内の停留所に着いた時は、あたりは夕暮れが迫っていた。
 別れ際に、手を振りながら、足が疲れたようでさすりながら、ホリデーインに着いたら、シャワーを浴びて、ゆっくり休みたい。と言って去って行った。
 カラフルなシャツと七分丈のズボンを身に着け、木のサンダルを無造作に履いた姿は、ユニークで少々奇妙であったが、なんのてらいもなく、気後れすることもなく話をすすめる彼女は、その日の終日を同行した友人であった。今でもスーダンと聞くと彼女の姿が目の前に浮かぶ。

 その後2〜3年経ってスーダンでは、内戦が勃発し、20年以上も戦乱が続いた。その間の犠牲者は、200万人以上だと聞く。今年2011年7月9日に南スーダンが北部より独立し、南スーダン共和国が新国家として誕生した。彼女はどうしているだろうか?スーダンのニュース報道を目にすると今でも彼女の姿が浮び、不思議にあのときの声が聞こえてくるような気がする。 (Y.S.)

先月 来月