PARTNER 国際協力キャリア総合情報サイト PARTNERニュース・コラム(第329号)

第329号  一方に困難あれば八方から支援あり~石巻と四川をつなぐ感謝の心~

 中国には、「一方有難、八方支援」、どこかに困難があれば四方八方が応援する、という言葉がある。20113月の東日本大震災に対し、各国から多くの義援金が寄せられたが、当時私が働いていたJICA中国事務所にも、連日、帰国研修員や専門家の配属先から、続々とお見舞いのメッセージや義援金が寄せられ、数あるJICA事務所の国の中でも義援金が多かった国の一つとなった。

 帰国研修員の6歳のお子さんからはこんなメッセージをいただいた。
「日本の被災地のお友だちが、幼稚園にいけるようになって、住むところも、着るものも、おもちゃもあるよう、お祈りしています。 僕のお小遣いがみんなに幸せを届けますように。 そして、みんなの生活がはやくもとにもどりますように。」
 (洪佳浩 6歳、JICA帰国研修員・洪志潔、砂百艶さんの長男)
 これは「一方有難、八方支援」の国民性に加え、その3年前、20085月に発生した四川大地震に対する日本の支援への印象が、中国の人々の脳裏に焼き付いていたことが背景にある。四川大地震は、死者・行方不明者約9万人、負傷者約37万人という未曽有の犠牲者を出したが(東日本大震災では死者・行方不明者約19千人、負傷者約6千人)、各国に先駆け最初に被災地入りした日本の国際緊急援助隊が、危険をもかえりみず倒壊した家屋の下敷きになっている生存者の救出を試み、犠牲者に哀悼の意を捧げる姿は、中国の人々の心を揺さぶり、それまで悪化し続けていた対日感情を好転させていったのだった。

 

 帰国研修員の6歳のお子さん、洪佳浩君からのメッセージを知って自身のブログに綴ったのは『まちかどブロガーふみ姉』。

 仙台の携帯電話会社に勤める「ふみ姉」とは、縁あって30年来家族ぐるみのお付き合いをさせていただいている。
「ふみ姉」はあの日、たまたま休みを取って、実家のある石巻へ帰省していた。仙台へ戻るため、15時ごろ発の仙石線に乗ろうとして、石巻駅に停車していた車両に乗ってすぐ、地震が起こった。車両が、ブランコを大きく揺するように動き、車窓から見える、家々の屋根から、瓦が水のように流れ落ちていくのが見えた。瞬時のうちに、停電になり、駅から出るよう指示があり、携帯も公衆電話も通じず、一目散に、実家へと急ぎ戻った。その時はまだ「津波」が襲ってくるとは、微塵にも思わずに・・。 「まちかどブロガーふみ姉」へ
 

 帰国研修員の6歳のお子さん、洪佳浩君からのメッセージを知って自身のブログに綴ったのは『まちかどブロガーふみ姉』。

 仙台の携帯電話会社に勤める「ふみ姉」とは、縁あって30年来家族ぐるみのお付き合いをさせていただいている。
「ふみ姉」はあの日、たまたま休みを取って、実家のある石巻へ帰省していた。仙台へ戻るため、15時ごろ発の仙石線に乗ろうとして、石巻駅に停車していた車両に乗ってすぐ、地震が起こった。車両が、ブランコを大きく揺するように動き、車窓から見える、家々の屋根から、瓦が水のように流れ落ちていくのが見えた。瞬時のうちに、停電になり、駅から出るよう指示があり、携帯も公衆電話も通じず、一目散に、実家へと急ぎ戻った。その時はまだ「津波」が襲ってくるとは、微塵にも思わずに・・。 「まちかどブロガーふみ姉」へ

 帰国研修員の6歳のお子さん、洪佳浩君からのメッセージを知って自身のブログに綴ったのは『まちかどブロガーふみ姉』。

 仙台の携帯電話会社に勤める「ふみ姉」とは、縁あって30年来家族ぐるみのお付き合いをさせていただいている。
「ふみ姉」はあの日、たまたま休みを取って、実家のある石巻へ帰省していた。仙台へ戻るため、15時ごろ発の仙石線に乗ろうとして、石巻駅に停車していた車両に乗ってすぐ、地震が起こった。車両が、ブランコを大きく揺するように動き、車窓から見える、家々の屋根から、瓦が水のように流れ落ちていくのが見えた。瞬時のうちに、停電になり、駅から出るよう指示があり、携帯も公衆電話も通じず、一目散に、実家へと急ぎ戻った。その時はまだ「津波」が襲ってくるとは、微塵にも思わずに・・。 「まちかどブロガーふみ姉」へ

 その「ふみ姉」にJICA中国事務所で義援金の取り纏めに奔走したナショナルスタッフSさんから次のメッセージが寄せられた。
Sさんは、重慶出身。重慶は今では直轄市として独立しているが、以前は四川省の一部だった。四川大地震では、多くの友人、知人が被災した。
「仙台の「まちかどブロガーふみ姉」のブログを拝読しました。石巻の復興活動は今どのように進められていますか。いろんな難しいことがあると思いますが、負けないで頑張ってくださいね。私は昨年の8月に、石巻市の北上町で短期ボランティアをしました。津波で被災した神社に行って雑草や瓦礫の除去の手伝いをしました。ちょうどお盆休みの前だったので、綺麗になった神社は被災地の住民の方々にお盆の時にいろんな行事が行われるように間に合ったことは非常によかったと思いました。ボランティア活動はあまりにも短かったので、あまり役に立たなかったと申し訳ない気持ちで北京に戻りました。東日本大震災が発災した後、私は四川大地震の時経験した悲しさと苦しさは再び戻ってきたようになって、とても辛い気持ちで事務所にいました。(その辛い気持ちを)独りでは、乗り越えられないので、自分を助けるために日本に行きました。ボランティアさせていただいたこと、石巻で被災地の皆さまが勇気を持って災害に立ち向かって頑張っていることに私は大きなエネルギーをもらいました。本当に感謝しております。中国には私のような普通の人々がたくさんいます。「感同身受」(筆者注:まるで自分が経験したように感じている)の気持ちで日本の被災地の皆さまを、応援しています。」
 

 「ふみ姉」の今年の目標は、Sさんに会ってお礼を言うこと。石巻と四川—被災地でともに復興に立ち向かう人たちが、国境を越えて共感し、励まし合い、お互いへの感謝の気持ちを持つ。国際協力が、その心をつなぐささやかなきっかけになれればと思う。 (M.O)

ユーザが追加した画像

震災後2週目のころの石巻。左から二軒目が、「ふみ姉」が被災後4日間過ごした実家。一番左の赤い屋根の家は、「隣り」だった家。津波により、斜め後ろに流された家の前には、どこからか流れてきた車。今は辺り一面、何も無い 。(「ふみ姉」提供)

ユーザが追加した画像


四川大地震で救助活動にあたる国際緊急援助隊

先月 来月