PARTNER 国際協力キャリア総合情報サイト PARTNERニュース・コラム(第341号)

第341号  先達に学ぶ。

NHK大河ドラマでは、日曜日夜に「八重の桜」を放映中です。現在は、江戸幕末における、福島・会津藩主 松平容保公が京都守護職を拝命し京都の警護に当たり、そこで直面する難しい政治模様を取り上げていますが、高校での日本史の教科書では一行の歴史事実が、当事者関係者にとってはこんなに大変なことに直面し判断し対応せざるを得なかったのか、と改めて痛感しています。佐幕、勤皇の姿勢、がんこな藩の気風など、福島県だけではありませんが東北各県に共通するかもしれない冬の寒さや雪にじっと耐え春を待つ粘り強さ、伝統を思います。

さて、福島県の猪苗代湖岸からは、後年、野口英世博士が出て国際的に活躍されました。同地に在る野口英世記念館では、幼少期に落ちて手を火傷されたいろり、「志を得ざれば再び此の地を踏まず」と彫られた柱を目にすることができます。英世博士の支えには、母親シカさん、小学校の恩師(小林先生)の大きな献身的な姿勢、支援があることが見て取れ、そして、これらと土地柄、伝統、山紫水明の地との関連、この土地にしてこうした人が育まれるのではということを、大河ドラマを見ていて感じる次第です。

野口英世博士は明治から大正期にかけて、アメリカに渡り多くの研究を行い、黄熱病研究のためにエクアドル、ガーナ等に赴きましたが、飛行機はなく船での渡航で非常な困難が伴ったはずです。同時期やその前後に国際的に活躍した新渡戸稲造氏、或いは幕末に国禁を犯す覚悟で安中を発ちアメリカに渡り勉強を積み重ね、明治期に同志社大学を設立する新島襄氏(八重さんの夫)等この時代の先達の活躍とその求道のためのチャレンジ精神について、圧倒される思いがあります。

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近年、西アフリカに勤務する機会がありました。1928年頃、日本人研究者が西アフリカ・ガーナにまで来て黄熱病研究に従事していたことは現地の人はほとんど知りませんでしたので、そういう日本人研究者が居て研究を行っていたことはよく紹介していました。そして、明治期の日本の地方も貧しく、物も無いし、社会のインフラも十分に整わない中でも、その日本人研究者は幼少期から苦学して資格を取り、研究を続けていった努力の話をしつつ、自らへの叱咤激励としていました。あの時代に自分が居ても、間違いなく、こうした先達のように思い切って海外に出ていくことはできなかったと思いつつも、時代や社会の動きを捉え、チャレンジしていく精神を先達から学び、毎日の仕事や勉強に取り組みたいと、毎週、大河ドラマからエネルギーをもらっているところです。 (M.Y.)

 
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