PARTNER 国際協力キャリア総合情報サイト PARTNERニュース・コラム(第377号)

第377号  「不安定」な社会を生きる人々 ~イランにて~

サッカーのW杯を日韓共同開催した2002年のこと。新規プロジェクト立ち上げのために何度かイランに調査団として出張する機会があった。当時のイランはハタミ政権。欧米との「対話路線」を打ち出しており、国内は開放的で、多くの日本人がイランに観光に来ているような時代だった。

 調査団の滞在は長くて2週間程度。その間、同じドライバーを雇って先方政府機関を訪問し様々な事柄について交渉する。大使館からの紹介で雇ったドライバーのラヒムさんは日本語を話した。なんでも、ちょうど日本がバブル真っ盛りの頃に、茨城県にある建築業者に出稼ぎに来ていたのだそうだ。

 確かにバブル期には数多くのイラン人が日本に出稼ぎに来ていた。ラヒムさんはその中でもかなり真面目に働いたようで、当時の稼ぎでお母さんのためにテヘランに家まで建てることができたという。
 「まさに『ジャパニーズ・ドリーム』だよ」と日本のバラ色の時代を語るラヒムさん。テヘラン市内をあちらこちら回る間にも、「また日本で仕事がしたい」と事あるごとに言っていた。当時お世話になった社長には今でも時々電話をし、お歳暮やお中元も欠かさず送り続けているらしい。そういう意味ではすごく日本人らしい考え方をする人で、調査団が日本へ帰る最後の日には、団長と団員それぞれに、箱いっぱいのピスタチオナッツをお土産にくれたりした。

 年齢的には40歳前後くらいに見えるラヒムさんに、私はふと、「これからどうするのか。ずっとドライバーとして暮らしていくのか」と尋ねたことがある。返ってきた答えは、
 「うーん、今度、商売を始めようかと思うんだ。会社を興してね…」

 私は「こりゃ、かなわない」と思った。
 イランでは大学を卒業しても職がない。「企業に就職」「会社員になる」という日本で一般的な事象が稀な社会だ。
 職がない世界では、自分で職を作る。会社を興す、店を出す。そうやって彼らは生きていく。たとえ勝算がなくても、「やってみようと思うんだ」という気持ちしか選択肢がないこともある社会。

 そして、そんな人たちのために「協力」している我々が知っている世界は、せいぜいのところ「サラリーマンの世界」なのである。少なくとも私が知っているのは、彼らからみたらとんでもなく「安定」した社会だけだった。
 そう思ったときの衝撃は大きかった。

 —「不安定な社会」を生きている人に、「安定した社会」しか知らない私が、一体どんな風に役に立てるというのだろう—

 来年は、日韓W杯から数えて3回目のW杯がブラジルで開催される。つまり、あれからもうすぐ12年。その間、激動の政権交代が繰り返されたイランで、ラヒムさんは今どうしているのだろうか。
 そして、その間、自分は成長しただろうか。
 いまだに自信が持てない自分がいる。(T.M. )
 
先月 来月