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第453号  ~広島にて思うこと~

「ある日突然、黒塗りされた教科書を渡された時、何を信じればいいのか分からなくなった。その気持ちがわかるか・・・」

2年前、実家に帰省した時に81歳になる父とささいな事で議論となり、その際に父からふとこの言葉がこぼれた。その時から、私のなかで、その言葉がずっと心の片隅に残っている。
父は昭和9年(1934年)生まれで、終戦時(1945年)は11歳であった。また、その頃に父は、父の両親、兄弟とともに満州(現在の中国東北部)から父の両親の実家がある九州に引き上げてきた所謂、満州移民であり、その引き揚げ者である。
父は昔気質の無口なタイプなので、これまで父から父の若い頃の話をほとんど聞いたことがなかったが、私が小学生だった時、父から満州で手作りのスケートリンクで冬のスケートを楽しんだことや近所の人たちと大量に餃子作りを行ったなど、幼年期のたわいない思い出は唯一聞いた記憶はあった。ただ、これまで父から冒頭のような終戦時の困惑や満州引き揚げ時の混乱等戦争の影を感じる話は一切聞いたことはなかった。

私も、縁あって国際協力の仕事をさせてもらうことになり、特にアジアの人々と交流する立場になって改めて日本の国際協力の歴史を振り返ると、日本の戦後と国際協力を切り離して考えることはできない。
戦争は、国家間の対立から始まり一般の国民が巻き込まれていくものであって、巻き込まれていった国民を責めることは出来ないが、どうしても私のなかで肉親である父に問うてみたいが、未だに聞けないことがある。
「お父さんたち一家と中国の人々との交流はあったの?
中国の人たちは、お父さんたち日本人家族をどのように思っていたの?」

私は本年5月から広島にあるJICA中国で勤務することになった。この広島の土地は、私が小学校の夏休みに仕事人間だった父に旅行に連れていってもらった数少ない思い出の地である。私は当地着任後に30数年振りの広島平和記念資料館と記念公園に行ってみた。多くの外国人、特にアジア系の若い人たちが多く来ていることに、遠い過去に訪れた時の資料館の光景との大きな違いを感じた。
彼ら彼女らは何を思っているのだろう・・・。
翻って日本人の若い世代、いや自分たちも他国の戦争の被害を能動的に知ろうとしているのだろうか、と素朴に思った。

最近、あるTVのドキュメンタリー番組で終戦直後、マニラ軍事裁判にかけられた日本兵の一部はフィリピンのキリノ大統領の特赦にて減刑、釈放された事実を初めて知った。そのキリノ大統領自身の妻と子は終戦直前に日本兵に殺されていたとのことであった。「国家」と「個人」、「罪」と「許し」を深く考えさせられた。まだまだ知らないこと、学ぶべきことはたくさんありそうだ。

さて、ここからは、お知らせです。
今年は戦後70年の年でもあり、広島では平和式典に加えて、様々な平和を考えるイベントや国際会議等が開かれています。
また、広島の原爆投下後の復興について有識者間でこれまで研究され、取りまとめたひろしま復興・平和構築研究事業報告書『広島の復興経験を生かすためにー廃墟からの再生―』(国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会)を一般の人向けに分かりやすくまとめた『広島の復興の歩み』が発行(日本語/英語版)されました。ご関心のある方はJICA中国国際センターまでご照会下さい。(Y.Y.)
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