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第483号  シリーズ 国際協力の第一線(団体編)~人生における心の支え~


「人生を生き抜くことってホントに大変だ・・・」最近つくづくこう思う。不安、葛藤、プレッシャー・・・。それでも「心の支え」があったからこそ、弱音を吐きながらも何とかこれまでやってきた。私の場合、心が疲れて身動きが取れなくなり、じっと横たわっているときに決まって頭に思い浮かぶのが、高校一年の夏にインドネシアで過ごした経験である。

新潟の雪深い小さな町で育った私は、中学生時代まで外国や異文化とは無縁の生活であった。15歳まで、外国人を見たのはたった一度きり。東京にもほとんど行ったことがなく、電車で2時間離れた新潟市にすら怖くて一人で行くことも出来ない田舎者であった。
そんな私が高校1年の夏にいきなりインドネシアにホームスティに出かけることになったのだ。これは自分から希望したものではない。前年に、先生に言われるままに、校内暴力で荒れた中学校で過ごした経験をスピーチしたのだが、図らずも全国大会で文部大臣賞を受賞してしまい、その副賞がインドネシアだったのだ。

外国を全く知らぬ私にとって、インドネシアと言われてもなんのことだかさっぱりわからない。友人と一緒に社会科の資料集を調べると、そこに唯一でていたのはジャングルの中にひっそりと建つジャワ島古代の「高床式住宅」。今と違いインターネットで情報検索できる時代ではない。あせった私は、3カ月間かけてジャングルで一か月生き延びる装備を準備した。友人からは方位磁石を餞別にもらい「生きて帰って来いよ!」と地元の小さな駅まで見送ってもらった。冗談みたいな本当の話である。ちなみにその日はロサンゼルスオリンピックの開会式の日であった。

インドネシアのジャカルタに到着し、あっけにとられた。ジャカルタはジャングルではなく大都会であった。そして到着したのが夜であるにも関わらず、外にいる人々の数が半端ではない。私の住む町と比較にならぬほど栄えている。さらに、日本語のまったく聞こえない世界。空港からのバス移動中、私はあまりのカルチャーショックに空いた口が塞がらなかった。
ジャカルタと、世界遺産ボロブドゥール寺院で有名なジョグ・ジャカルタで約1カ月間ホームスティしたが、今思えばあまりに恥ずかしいことばかり。
例えば、インドネシアにはマンディという沐浴(シャワーのようなもの)の習慣がある。家庭内に水槽があって水が張られており、手桶で体にかけるのだ。しかし、日本式風呂以外を知らない私は素っ裸で水槽に入ってしまった。そしたら思いの他水槽が深くて溺れそうになり、大声で叫んでホストファーザーに救出された。
また、ホストシスターの部屋に何気なく入ると、彼女は不思議な衣装を身にまとい不思議な動きをしていた。その姿を見て、驚きで頭が混乱し立ちすくんでしまったこともあった(当時、私はイスラム教はおろか、宗教について考えたこともなかった)。そして何よりも、伝えたいことはたくさんあるのに英語でうまく表現できず、周囲の人々に迷惑をかけ何度も悔しい思いをした。
それでも、このホームスティ・プログラムは夢のような日々であった。特に同世代の中学、高校生との交流は生きている限り忘れることはないだろう。フィールドトリップで滞在した無人島で、拙い英語で満点の星空の下、夜な夜な夢を語り合ったこと。歌って、泳いで大騒ぎしたこと。同じ年の女の子からラブレターをもらい有頂天になりながらも、その英語の意味がわからず英語習得を彼女に固く誓ったこと(その後2年間文通は続いたが自然消滅、笑)。二度と戻ってこない彼らとのかけがえのない時間。プログラムの終了が近づくに連れ、感動と辛さで涙が止まらなくなっている自分がいた。

帰国後、私の行動は明らかに変化した。「世界はでかいぞー」と自分自身に言い聞かせ、英語や読書など、世界とつながれる学習に猛烈に取り組むようになった。また外国の友達を作る機会を必死に求めた。大学生時代には、節約を心掛けアルバイトで金を貯め、大学生協でローンを組んでアジア、アフリカに旅に出た。「待っていても何も起こらない」ことを知ってからは、留学生との交流行事を自分で企画した。高校教員になってからも、外国とつながれる機会にはすべて挑戦した。JICAの教師海外研修 (ザンビア)にも応募し合格した。
 
あの時にもし、インドネシアに行っていなければ、おそらく私の人生は全く違った方向に行ったであろう。少なくとも大学教員として多文化交流や外国語教育を研究、実践したり、AAEE,アジア教育交流研究機構を立ち上げ学生交流推進に携わったりすることはまずなかったであろう。
人は困難に遭遇し身動きが取れなくなったとき、過去に積み重ねた感動を心の拠り所に生き抜いていけるのだと私は考えている。私は教育者として、出会った若者たちに人生を生き抜く支えになる感動を与えたいと常に考えている。ではこの私に何ができるのか。その答えがAAEE,アジア教育交流研究機構にあり、これこそが私のできる社会貢献、国際協力なのである。
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