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第501号  連載コラム「ぷろのぶ~国際協力を傍らに、本業に打ち込む若者たち~」(第6回)

『ひとつの国際協力のカタチ~募金箱からじわじわと』

 国際協力なる活動が世にあることを最初に知ったのは、恐らく小学生の頃でしょうか。
親が時々UNICEFに募金していたので、何やら海外の子供たちが大変な状況にあるらしい、と漠然と理解する程度でした。高校生の頃は親に倣ってか、テレビ番組の呼びかけに感化されてか、海外の大変な状況下にある人たちに水と食糧が届くように、ワクチン接種ができるようにと願いを込め、なけなしのお小遣いを寄付した事がありました。いま考えれば、それが私のはじめての国際協力への思いだったのかもしれません。

 大学生になり、やや外向き志向であった私は、募金していた少額の小遣いさえもすべて海外旅行に費やし、数十か国を回りました。そこで、現地の方々から、日本のODAで建設されたものや活躍されていた日本人について話を聞く機会がありました。援助を受ける人たちの生の声を聞けたことで、その重要性と効果を実感しました。まさにそれは青年海外協力隊や、民間企業の方々の足跡であったわけです。

 明らかに自分は募金などを通じて遠く離れた地から援助を行うよりも、より直接的に関わりたいと考えるタイプであり、大学生後半になると、JICA青年海外協力隊の電車の中吊り広告 が気になりはじめました。しかし、私も結局は甘い学生生活の誘惑に負け、とうとう応募することはありませんでした。

 その後、社会人になり、休暇で訪れた国のジャングルの森林破壊の上に建設されるロッジや、明らかに通学させてもらえていない児童労働の状況を見ると、時々複雑な気持ちになる事がありましたが、問題の大きさに対し、その感情の先に成り立つ具体的解決に導けるアクションが思い浮かぶことはありませんでした。

 そんな自分にも転機が訪れました。仕事で国内担当から海外担当になり、海外駐在も経て、心境にぼんやりと変化が出てきました。海外との業務が日常となり、海外が意識的に近くなる事で、何かできそうな可能性を感じ始めるようになりました。これは大きな一歩ではありましたが、この時も学生時代同様、サラリーマンの甘い生活を止め、青年海外協力隊に応募する勇気がないのは相変わらずでした。

 その後、国際協力活動未熟者なりの模索をしていましたが、この類の意識を気軽に共有できる機会や仲間がそう多くもなく、諦めかけていたなか『ぷろのぶ』と出会いました。
 『ぷろのぶ』は、生業に軸足を置いて活動しており、各自の得意分野を発揮しながら活動、研鑽でき、さらには再び生業や趣味にも還元できる、魅力に溢れるコミュニティでした。
 私は本業で輸出入業務を行なっていることから、日本とインドネシア間の物流費などコストを試算する手伝いをしたり、メンバーで国際協力の海外法人を立ち上げる企画があると、法人設立に関するアドバイスをしたりすることで、自分のスキルを活動に活かしてもらうことが出来ました。一念発起してサラリーマン生活を辞めなくとも、無理なく日常の延長上で何か出来る気づきを与えるに十分な体験となりました。

 恐らく現在の日本では、私に限らず全世代でライフスタイルが変化する潮流があり、自己実現や豊かさの価値も多様化し、国内外関係なくボランティアへの興味の持ち方から、関わり方までそれに応じて変化する時代のような気がします。
 ずっと抱き続けた情熱と、可処分時間を募金箱に入れるような気持ちで国際協力に関わるキッカケと仕組みが作れたら、仲間はまだまだ沢山いるはずだと思っています。

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ぷろのぶ 松川 淳一

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