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経験ナシでも、母親になっても、開発コンサルタントとして国際協力の「現場」で活躍中! ~協力隊の任期を終えて10年~

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青年海外協力隊の派遣先タイ(職種:村落開発普及員)から帰国して10年弱、末吉由起子さんはいま、開発コンサルタント会社グローバルリンクマネージメント株式会社(GLMでコンサルタント(GLMでは「研究員」と呼ぶ)として働いている。今の自分があるのは、「コンサルタントになる」という強い信念をもち、粘り強く行動したからだという末吉さん。隊員時代から現在までのキャリアストーリーを追ってみた。
◆憧れの国際協力、一歩目に悩む
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末吉さんが大学(国際協力学部)を卒業したのは20003月。在学中に協力隊を受験。資格の求められない村落開発普及員を狙ったが、倍率100倍という壁にあえなく脱落。その後、協力隊事務局を訪れ、不合格の理由を問うと「実務不足」の一言※1 。国際協力の仕事に憧れていたが、どんな一歩を踏み出そうか踏ん切りがつかず、卒業後はしばらく、アルバイト生活を送った。
 実は、末吉さんは大学時代に1年休学し、東南アジアや南アジアを放浪したことがある。
「途上国や貧困について大学で勉強していたけれど、『実感』がわかなくて。電気や水道がない途上国の田舎を訪ねてみると、そこには、モノやカネはなくても、海外から来た自分を助け、受け入れてくれた寛容なココロがあった。たぶん、このときの「感謝」の気持ちが、仕事として国際協力にかかわりたいとの思いにつながったのでしょう」と末吉さん。  国際協力を仕事にするには「修士号」が最低限の条件といわれる※2 。末吉さんはアルバイトをしながら、まず大学院に進んだほうがいいのか、その前に開発の現場を経験しておくべきか、迷ったという。
 悩んだ末、協力隊と神戸大学大学院の両方を受験! 両方とも合格したため、大学院は入学と同時に休学し、協力隊へ参加した。

60キロ離れた村に通う日々
 大学を卒業してから10カ月後の20011月、末吉さんは協力隊員としてタイへ出発した。
 任地は、タイ北部のナーン県。配属先は「タイ労働社会福祉省の山岳民族福祉開発センター」だった。ナーン県は山に囲まれたところで、ラオスと国境を接する田舎。人口46万人のおよそ1割が山岳民族だった。
 末吉さんのミッションは、モン族やマラブリ族の副収入(現金収入)を得るプロジェクトの企画・運営。「新卒の私は何の技術ももっていなかった。赴任した当初は、自分に何ができるのかわからず、暗中模索の日々。タイ人カウンターパートも辺鄙な山奥には行きたがらず、とりあえず現状を知るために、バイクで一人村へ通った」 少数民族の村は、末吉さんが暮らしていた市内から3060キロメートル離れていた。苦労して、村にたどり着いても、村人は当初、末吉さんを歓迎はしなかった。それどころか、末吉さんの姿を目にした村人らはこぞって家に隠れ、犬にまでも吠えられる日々が続いた。
 「外国人なんて来ないところ。警戒されても仕方がない」。だが辛抱強く村に通い始めて半年経ったころ、村に知り合いも増え、末吉さんは徐々に受け入れられようになった。村長や保健所のスタッフなどキーパーソンが「困っていること(活動のねた)」を教えてくれた。

モン族のろうけつ染めを復活! 1カ月1000円の副収入源に
 3か月くらいたったころ、末吉さんは、モン族の村で、「ろうけつ染め」を商品化し、現金収入を得るプロジェクトを立ち上げようと考えた。ろうけつ染めは、刺繍と並び、モン族が誇る伝統工芸だ。いずれも女性が作る。刺繍はすでに市場に出回っていたが、モン族のろうけつ染めはまだ珍しかった。その美しさに末吉さんは「これだ」とひらめいたのだった。
 末吉さんはさっそく、市場調査に乗り出す。タイ北部最大の都市チェンマイに行き、卸し先の候補を調べたり、またバンコクでは、日系企業の駐在員の夫人や観光客にニーズをヒアリングした。
 商品化までの道のりは、想像以上に苦労の連続だった。先行き不透明で、しかも外国人が主導するプロジェクトへの猜疑心があったのは想像に難くない。それに、刺繍にくらべて手間のかかるろうけつ染めは彼女らの生活から消えつつあった。末吉さんはモン族の人たちの間で伝統意識が薄れ、伝統工芸が埋もれていく実態を目の当たりにした。ろうけつ染めの染料に使う藍の木さえ村にはもう生えていなかった。
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末吉さんは、これらの問題をひとつずつ解決していく。まずは村長の信頼を得ることに成功。すると、モン族の女性たちが動き出した。藍の木はみんなで山に探しに行き、持ち帰って村へ植えた。
 モン族伝統のろうけつ染めを復活させることに末吉さんはこだわっていた。少数民族の雑貨があふれたタイにおいて差別化を図るため、デザインも、西洋風ではなく「モンの模様」で、模様の付け方はスタンプではなく「手描き」でなければならなかった。「伝統を守ることが、モン族女性の自信につながる、自信は自立につながる」と信じていた。高齢者に「ろうけつ染めの指導者」をお願いし、末吉さんは手順をマニュアル化した。
 プロジェクトをスタートして1年後、伝統的な「ろうけつ染め」はついに商品化された。
ナーン市やチェンマイ、バンコクなどのクラフトショップで売り、プロジェクトにかかわる女性たちは1カ月およそ1000円の現金収入を手にできるようになった。食費や薬をまかなうには十分な金額だ。
 モン族の女性たちは山岳民族の祭りに呼ばれ、「ろうけつ染め」のデモンストレーションをする機会も出てきた。人前で伝統工芸を見せることで、民族としての自信・自立心も高まっていったように思えた。

対タイ援助政策の策定にかかわる
 20034月、末吉さんはタイでの活動を終え、日本に帰国した。23カ月の協力隊経験は末吉さんに強烈なインパクトを残した。
「タイ人主導の政策は『山岳民族をタイ人化』することを目指していたが、その陰で、少数民族がアイデンティティを失っていくのを見た。しかし現場だけでは何も変えられない。また 日本の援助政策も、現地の人にとって本当に良いのだろうかと疑問に思い始めた。」
 帰国してすぐに神戸大学大学院に復学した末吉さんは、国際開発政策を専攻する。1年だけ大学院に通い、その後は修士論文を書く傍ら、在タイ日本大使館で専門調査員(経済協力担当)として2年間仕事をした。
 職務内容は、メコン地域開発とタイの「援助国化」の動向に関する調査。経済成長著しいタイは日本から援助を受ける一方で、ラオスやミャンマーなど周辺国に対し、とりわけインフラ面で援助するようになっていた。  タイミングが良いことに、タイに対する援助政策を外務省が改定する年に当たった。末吉さんは情報提供などの立場でかかわることができた。このなかで政策立案者と現場の「かい離」を強く感じたという。
 末吉さんは20063月、タイの農村部における所得向上と政策の相関関係についての修士論文で修士号を取得。翌月には専門調査員の契約も終え、2度目のタイから日本に帰国した。

事務員として開発コンサルタント業界に!
 帰国後、末吉さんは定職を探した。開発の「現場」での仕事を希望していたため、開発コンサルタントに絞って活動した。
 就職は、予想はしていたが、それ以上に厳しかった。開発コンサルタント会社に履歴書を送るも、ほぼすべて書類ではねられたという。なぜだめなのか。ある会社に理由を尋ねに行くと、「経験がないから」と説明された。
 そんな中、現在の勤務先グローバルリンクマネージメント株式会社(GLM)で提示されたポストは、コンサルタントではなく、「コンサルタントのアシスタント、兼事務員」。「コンサルタント経験のない自分にとって残されたチャンス」どうしても開発コンサルタント業界に入りたかった末吉さんは、この条件で入社した。
 最初の1年は、総務の仕事が中心。電話の対応や書類作成などだったが、徐々にコンサルタントのアシスタント業務が増えていった。
 「この業界で就職活動をしてみて、自分の立場がよく分かった。だから、なんでもやろうと思った。事務員の仕事もアシスタントの仕事もすべてが新鮮で、勉強になった。」
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そうした中、末吉さんに、初めて1人で評価調査案件に行くチャンスが巡ってきた。別の担当者が急に行けなくなったための代打だった。
 「私は当時、30歳ちょっと。発注者からは、等級も低く、評価調査の経験が少ない人を派遣して大丈夫なのか、と言われ、プレッシャーでまさに「胃に穴が開きそうな」状況。ここで失敗したら、次はないという意気込みで、調査にのぞんだ」
 出発前に、評価のやり方を会社の先輩に詰め込んでもらう。現地では3週間で、関係者にインタビューし、エビデンスを集め、関係者とミーティングをし、徹夜で評価報告書を書いた。
 そして入社3年目から、末吉さんはコンサルタントとなった。

子育てとの両立
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GLMに就職して6年超。末吉さんは、コンサルタントとしてさまざまなODA(政府開発援助)案件を評価してきたが、「評価のなかでも専門性が必要。これからは自分の強みになるような分野を特定して専門性を高めていきたい。将来的には、評価案件だけでなく、中小企業の海外進出支援や技術協力プロジェクトなど現場での案件にもかかわりたい」と次を見据える。
特筆すべきは、末吉さんは仕事に全力を注ぐ一方で、実は、結婚もし、1児の母でもあること。「女性で子どもがいると、コンサルタントとして働くのは難しいと思っている人もいる。でも自分のライフスタイルに合う会社を選べば両立も可能」と力説する。GLMは、ワークライフバランスを重視しながら仕事ができる環境を用意してくれる会社だ。わかりやすくいうと、GLMのコンサルタントは、自分の関心や専門分野に応じたプロジェクトを選んでプロポーザルを書き、受注した仕事を自分で担当するという仕組みになっている。自宅勤務制度もあり、勤務時間もフレックスだ。
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末吉さんの場合、子どもがまだ幼いので、子育ても同時並行できるよう「出張期間が短い海外の案件か、国内の案件」を選び、仕事をしている。ただ、これまでと大きく違うのは、仕事に費やせる時間の少なさ。家に帰れば子どものペース。深夜や週末に仕事をすることも増えた。でもその分、仕事や育児から得られる充実感も大きいし、サポートしてくれる家族や同僚への感謝の気持ちも深まったという。
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まさにワークライフバランスの理想を実現中の末吉さんだが、インタビューの最後にこう言い切った。 「私の原点は協力隊。途上国の人との触れ合いが好きだし、これからも途上国の発展にかかわっていきたい。コンサル業界に入る前の私は資格ない”“経験ないだったし、いまは結婚して、子どももいる。これらはすべて、キャリアを積んでいくうえでは『制約』と思っていたが、実は『原動力』だった。なりたい”“やりたい気持ちを持ち続けて行動すれば、道は開けていくと思う」

※1現在は、不合格者には通知文書に簡単な不合格理由を記載しております。
※2
修士号は必ずしもあらゆる国際協力の仕事で最低限の条件ではありません。キャリア相談FAQ2-6を参照ください。

本インタビューは、「協力隊の任期を終えてX年」で公開していた内容と同一です。