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森林が好き。素朴な思いから選んだ国際協力への道 ~社会貢献活動におけるキャリア(環境編)②~

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【プロフィール】
1989年東京農工大学農学部林学科卒後、国際協力事業団(現国際協力機構、以下JICA)入団、森林保全プロジェクト担当。フィリピン事務所勤務、人事部人事課を経て、97年より2年間コーネル大学大学院に留学。帰国後、無償資金協力部で植林事業を担当した後、総務部総務課に異動。その後、2児の出産と育児休業を経て、現在は、地球環境部森林・自然環境保全第一課長として、アジア及び大洋州地域の森林保全・自然環境保全事業の総括。
  「森林にはこだわりがある」というJICAの睦好絵美子さん(地球環境部 森林・自然環境グループ)は、もともと熱帯林減少への関心から、国際協力を志した。森林部門だけでなく人事や総務など、さまざまな仕事をこなしながら、あるべき国際協力とは何かについて研鑽を積んで来た。JICAでの仕事とは何か、またこれからの国際協力には何が必要か、について尋ねた。
 
—  国際森林年に涸渇していく森林資源の実情を知る
もともと森林が好きだったこともあり、大学では林学を専攻し、森林の経営等について学んでいました。

 2011年は国連の定めた「国際森林年」の二回目にあたります。私が大学に入った年の1985年はちょうど国際森林年の初回でした。新聞で特集記事が連載されるなどキャンペーンが張られ、熱帯雨林の危機や開発途上国の森林減少を知り、「なんとか解決したい」と思ったのです。

 けれども、いまほど途上国への国際協力に関する情報も多くなく、具体的な進路について思いつかなかったのですが、大学の研究室の指導教授がJICAの活動を知っており、私に勧めてくれました。

 学生の頃は、途上国と林学との結びつきを「植林」による協力以外に想像できませんでした。いまから思えば恥ずかしい発想ですが、「森林は水源涵養や土壌保全だけでなく経済的にも重要な資源であり、途上国で森林が減っているのなら植えればいい。森林を増やす仕事ができればいい」という程度の動機だったのです。

—  現実問題の解決に特効薬はない
JICAで最初に配属されたのは希望通りの森林部門。そこでただちに森林減少は植林すれば済む問題ではないと知りました。途上国では森林は国の外貨獲得手段であるとともに住民の現金収入源でもあり、森林を伐採せざるを得ないが伐採後に再植林を行う資金も技術もない。そこにはガバナンスや貧困の問題が絡んでいます。また、農園開発や放牧のための火入れが延焼して森林火災が頻発したり、アフリカなど降雨量が少ない地域では木を植えても枯れてしまうといった問題もあります。

 途上国の問題に共通することですが、これらを解決する特効薬のような処方箋はなく、プロジェクト活動を通じて地道に成果を積み上げていくしかないと思いました。植林、森林管理、木材利用などの技術や行政の問題解決とともに森林地域のコミュニティ開発など多面的な取り組みが功を奏してこそ、はじめて森林保全が図られるのです。

JICAに入って早々に森林問題の複雑さを目の当たりにする。さらに、森林問題が、短期的に成功か失敗かをはかることのできないものであることを海外出張を通じて体得することとなった。
初めての海外出張は、1989年クーデター直後のミャンマーで、中断されていた森林開発研修センターの建設状況を確認し、森林官を研修するプロジェクト開始のための協議をする出張でした。この出張がいまでも印象的なのは、最初に経験した現場という理由だけではありません。

 軍事政権下のミャンマーは絶えず欧米から批判されていますが、軍出身の森林大臣の下で働く行政官である森林官は真剣に森林のことを考え、温和でまじめで、とても協力的だったのです。このプロジェクトはその後無事開始され、7年間にわたって造林技術や森林経営の研修を行う技術協力を行った後、研修センターはミャンマー側に完全に引き渡されましたが、いま現在も施設は有効に使われ森林官の研修は継続されています。

一気に問題が解決する方法は夢想であり、目に見える結果としては現れにくい地道さゆえの成果があるのではないか。それはいつ芽吹くかわからない種かもしれない。時には蒔いた種が想像しない形で花開く。
 睦好さんは、その後、出張で赴いたタンザニアやインドネシアの奥地で現実に起きている問題の多様性をさらに知る。
一日一食がせいぜいで、水汲みに何時間も費やす人の暮らしがそこにはありました。森林資源に依存した生活をする人々に、「森林を守りなさい」「植林を手伝いなさい」と言えない現実がありました。技術協力やボランティアで少しくらい植林したからといって、苗木の世話をする人がいなければ枯れますし、薪や現金のために森林を伐採せざるを得ない状況がすぐに変わるわけでもありません。数年間の協力で技術を移転したり苗畑を造成したりしても、全体として森林の減少に効果をもたらさないこともあります。そのプロジェクトにできるのはどこまでなのか、そうした冷静な判断が必要です。

 1990年頃、日本の開発援助業界で参加型の農村開発や貧困削減という概念が注目され始めていました。ネパールの森林保全プロジェクトにおいても山村住民のニーズに注目すると、森林保全よりも現金収入の確保や道路、医療、教育といったニーズが高いという調査結果にもとづき、住民の生活文化を重視した援助を行なわなければ森林保全も達成できないという認識が浸透しはじめていました。そうした総合的な農村開発に強い関心をもったものの、あっという間に3年が経ち、自分の思いを具体化できないままフィリピン事務所に異動となりました。

—  「ともに汗を流す」だけが協力ではない
フィリピン事務所では、日本への研修員の派遣、事業計画のとりまとめのほか、農村開発、母子保健、職業訓練など多くのプロジェクトの担当を経験しました。

 当時のフィリピンは、参加型コミュニティ開発に関して日本の開発業界より先進的で、理論もアクションリサーチも進んでいました。住民の意識化や組織化などの啓発を行ったうえで、プロジェクト活動の選択、実施などの意思決定を住民に任せる方法がとられており、農業生産、教育、保健、給水など様々なセクターの活動をひとつのプロジェクトのなかで実現していました。JICAの協力がセクターごとの縦割りだったため、そうした柔軟さをうらやましく思いました。

 また、そうしたプロジェクトではオーストラリアや米国など他ドナーが事業実施をNGO等に委託しフィリピン人に任せている姿を見て驚きました。というのも、日本の技術協力の特色は、とにかく日本人が現場の最前まで行って、汗を流すことだったからです。協力隊でも専門家でも、日本人は一緒に現場に入って指導してくれるという点が感謝されていました。

 この方法は一つのやり方だと思います。しかし、その背景としては、日本の協力が「技術移転」に偏りがちだったことがあります。当時は、造林技術や農業技術などの技術開発志向が強く、ガバナンス強化や地域社会の自立発展などのキャパシティディベロップメント(CD)* に対する取組みは弱かった。今はその重要性が認識され、相手の行政面・社会面の能力を向上させるためにローカルリソースの活用は当然のことになっています。

睦好さんは1995年に日本へ帰国。これまでの事業部門から人事部門に異動し、職員研修担当となった。JICAに採用された時から、総務や経理といった管理部門への異動はあり得ると理解していたので、取り立てて不服はなかった。
キャリアのミスマッチとは思いませんでした。むしろ、住民参加型のプロジェクトのための研修を提案したり、環境やジェンダーといった課題別の研修の企画から実施までを行ったりと、これまでの問題意識を職員研修に結びつけました。

 在籍中にもっとも力を入れたのは、プロジェクトデザインマトリックス** に基づき客観的に成果管理を行うプロジェクトサイクルマネジメント手法の導入でした。

 90年代半ばまでのJICAの技術協力プロジェクトでは、プロジェクトデザインや評価について決まった枠組みはなく、目標や活動がおおまかに決められているだけでした。どのように成果を出すかは派遣された専門家の熱意と馬力まかせのところがありました。

 JICAの企画部が中心になって欧米ドナーの開発した手法を研究し、プロジェクトの成果を管理し、評価するための手法の導入が決定されました。

 新しいプロジェクトマネジメント手法の導入にあたっては、管理職を含むJICA職員全員の1,000人強が確実に習得するよう数年にわたって研修を実施しました。それだけに力が入りました。
 
配属に不満はなかったとはいえ、森林と農村開発に関わりたいという思いはずっと持っていました。元の分野に戻るにしても一度本格的に開発経済の手法を学びたい。そこでJICA内の留学制度を利用して長期研修を受けようと考え、97年からコーネル大学大学院に留学、国際開発学を学びました。

—  理論を学ぶだけではわからない実情を学ぶ
大学院留学中、印象に残っているのは、フィリピンでのフィールドワークです。マングローブ・ニッパヤシ林のある漁村を一軒ずつまわり、各世帯の管理面積や利用方法、収入を調査しました。JICA職員は、現場に泊まり込むという経験をすることがあまりないため、たった3カ月とはいえ、貴重な体験でした。

参加型の森林管理の理想としては、日本のかつての入会地(いりあいち)のように住民が共同で森林を管理することです。どういう条件であれば、それが実現するかを調べたかったのです。
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 調査したマングローブ・ニッパヤシ林は、地域住民が個人の権利を維持しながら共同管理資源として外部の養殖池開発企業による開発から守りたい、という事例でした。マングローブはもともとの自然植生で、地域住民は貝やエビ、カニなどの生息環境として共同で維持したいと思っていました。しかし、そこに混在しているニッパヤシは住民が現金収入のために植栽した資源で、実際に住民の間でも境界紛争や盗伐などが起こっており、住民は自分のニッパヤシ林の利用権を確実に維持したいと思っていました。フィリピンでは森林資源を共同で管理する政策が導入されたばかりでしたが、権利が共同体に与えられても、資源の性質によっては個人に分割しなければ管理できないことがわかりました。この事実は、共同管理を実現することに一方的に夢を抱いていたままではわからなかったことですね。 

—  森林保全のための千載一遇のチャンスを生かしたい
帰国後、無償資金協力部に配属され植林事業に携わるものの、再び異動となり総務部に配属。JICA全体の財務や総務、JICAと各省庁との関係を知るよい機会になった。そして現在、森林・自然環境保全第一課の課長となり、植林、森林保全、生物多様性保全などのプロジェクトの管理や評価、指導を行っている。
 
森林・自然環境保全の領域は、途上国の国家開発計画のなかでインフラ開発、産業育成、保健や教育などに比べて優先度が低くなりがちで、案件形成が難しい面があります。

 1992年の地球サミットで環境3条約と呼ばれる「気候変動枠組み条約」、「砂漠化対処条約」、「生物多様性条約」がつくられましたが、森林だけはいまだに保全のための条約がありません。それだけ利権や貿易問題がからんでおり国際的に合意が難しい問題なのです。そうした中、近年に入り気候変動対策として途上国における「森林減少・劣化の抑制による温室効果ガス排出削減(REDD)」が注目を浴びるようになってきたことは、森林保全関係者にとって千載一遇のチャンスです。

 これまでは森林保全は限定したパイロット地域でしか取り組めなかった面がありますが、気候変動対策は国全体としての取組みを求められるようになりました。 
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そのため、これまでのような一つひとつのプロジェクト成果をあげると共に、より広範囲に、より長期間にわたって、住民生活の向上をはかりながら森林保全を実現しなくてはなりません。JICAだけの取り組みでは「点」で終わってしまうため、民間企業やNGOと連携し、協力のアクターを増やすことで、点から線、面へと広げていくことに力を入れています。さらには、現地の自治体などが世界銀行などの基金を活用して森林保全を実施できるように、JICAでプロポーザル作成支援を行うこともあります。そのような活動を促進していきたいと思っています。 

JICA内でキャリアを積んできた経緯を踏まえ、睦好さんは、これから開発分野やJICAへの就職を検討している人は、やはり「コア」となる専門分野をもつべきだという。
 
バックグラウンドとなる専門分野を通して、その分野に関わるさまざまな事象を体系的・論理的に理解する能力を養うことが大切だと思います。たとえば気候変動という事象を追えば、気候変動を測定する技術や管理しようとする国際的な制度、気候変動が影響を与える社会・経済問題が絡んでいることがわかってきます。そこから国際政治や工学といったアプローチもとりえます。

 つまり国際協力の世界で「コアスキルを持つ」とは、専門知識の多寡によるものでなく、現実に起きている問題を自分なりのフレームワークで体系的・論理的に把握し、問題の解決方法を提示し、実行に移す力を意味します。

 さらにいえば、自分の考えを的確に伝え、相手の言葉を理解できる充分な語学力は必須ですし、多様な人たちとディスカッションをして意見をまとめていくコミュニケーション能力も重要です。

 いろんな意見を聞き、その中で何が実行できるかを考え、適切な方針を打ち出すことができるコミュニケーション能力に秀でた人材は、国際協力において必要とされています。 

 
国際協力は、日本だけ、あるいはJICAだけでできる事業ではありません。援助協調というある種の競争のなかで、日本がパートナーとして認められ続けるためにも、若い世代には、ぜひ国際的な舞台で活躍をして欲しいと思います。

* 個人・組織・社会が、「期待される役割を果たし、問題を解決し、目標を設定してそれを達成する、自立発展的な能力(=キャパシティ)」を獲得し、高め、維持していく過程(国連開発計画(UNDP)定義)。
** 開発援助プロジェクトの計画立案・実施・評価という一連のサイクルを運営管理する手法をPCMProject Cycle Management:プロジェクト・サイクル・マネジメント)手法といい、その際用いるプロジェクトの概略表のことをプロジェクト・デザイン・マトリックス(PDM)という。

本インタビューは、「ソーシャルキャリアはどうつくる」で公開していた内容と同一です。