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最初の一歩から何を吸収するかは自分次第。勇気をもって踏み出す覚悟が国際機関を目指すためには必要 ~実務経験を活かして、国際機関へ~

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大学卒業後、民間企業海外事業部勤務、在ニュージーランド日本国大使館勤務を経て、ニューヨーク大学大学院にて修士号取得。在ジュネーブ国連日本政府代表部(外務省)での国際人権分野専門調査員を経て、2004年より国連国際防災戦略事務局(UNISDR)本部にてプログラムオフィサーとして、国連防災世界会議に関するプロセスに従事。054月よりUNISDR事務局長特別補佐官を勤め、081月にUNISDR駐日事務所(在神戸)に着任、09年同事務所代表に就任し、現在に至る。


 国際協力の分野で就職先として人気の高い国際機関。実務経験や修士以上の学位を要するなどの条件からハードルの高さを感じ、どのように目指せばいいかわからず、不安に感じる人も多いのではないか。今回登場いただく松岡由季さんもまた、キャリアの進め方に不安を感じていたという。どのような経路をたどり、夢を実現したのだろうか。

国際機関で働こうと思ったきっかけとは?
   幼少のころから父の海外赴任を機に、将来英語を使って国際的な仕事につきたいと思うようになり、高校生の頃に国際機関で働くことを意識するようになりました。大学時にワシントン州立大学に留学、国際政治学を学びました。学生の半数が世界各国からの留学生で占められており、バックグラウンドも様々でした。国際社会の縮図に身を置いている感覚があり、そのとき明確に「国際機関職員になりたい」と思いました。
国際機関で働くには、修士以上の学位(とりわけ海外での修士)と国際的な実務経験がかなり重要視され、スタートラインに立つまでが大変です。当時の私は「国際機関で何をしたいか」が絞り込めておらず、まずは社会人としての経験が必要だと考え、日本企業の海外事業部に入り、2年間勤務しました。
あくまで国際機関で働くという当初の目標は忘れていませんでしたが、目指してみたところでなれるかどうかもわかりません。不安は常にありました。
しかし、10年後も同じ企業で働いている自分の姿が想像できない。そうであれば、今しかないと考え、国際機関の職員を目指す道を具体的に模索することにしました。

 

その後の展望をどう描きましたか?

海外で修士の学位を取ろうと考えていましたが、ちょうどその時期に外務省で2年契約の大使館派遣員の公募がありました。当時はいまのようにネット上に情報が溢れておらず、情報源と言えば外務省の知人や書籍、専門誌が主でした。当時は専門分野や修士も有していなかったので、専門職のポジションでなはく、外交官を補佐する仕事ですが、それに応募したところ採用されたため民間企業を退職し、在ニュージーランド日本大使館で勤務することとなりました。
幸いだったのは勤務中の1999年、APECの首脳会議がニュージーランドで開催されたことです。これにより、通常の補佐業務の枠を超えた仕事に関わることができました。
2年後、ニューヨーク大学大学院のミドルキャリア向けの国際公共政策修士課程プログラムに入学。通常のアメリカの修士課程は2年ですが、国際的な実務経験がある人材のみを集めた集中コースであったため、厳しいものではありましたが、最短の8ヶ月で修了することができました。このプログラムを選択した一番の理由は、当時は修士取得に2年間も掛けず効率よく取得したかったことが理由ですが、振り返るとあまりお勧めできる方法ではないかもしれません。20代であれば、1年から2年、腰を据えて勉強するということも将来にとって非常に重要な時間だと思うからです。
修士課程を修了すると同時に外務省の専門調査員のポストに応募し、採用され、在ジュネーブ国連日本政府代表部で国際人権分野専門調査員として勤務することとなりました。
国際人権分野専門調査員の仕事では、国連プロセスにおける人権に関わる決議の交渉、国際規約の起草と遵守に関するプロセスに日本政府の立場で実際に携わることができたことが、国際機関に入る上での重要な経験となったと思います。

 

国際機関に入る上で、ニュージーランドとジュネーブでの経験で得たことに違いはありますか?

前者については、あくまで補佐の立場であったため、いわゆる専門的な実務経験として私自身のキャリアになったというまでには至りませんでしたが、APECという国際的なプロセスに関わることができ、貴重な体験となりました。
後者は日本政府の代表団の一員として国連でのプロセスに携わるプレイヤーであり、ニュージーランドのときとは比べものにならない責任を負いました。
特に国際人権分野に関しては、国際的な規範の策定と実施というプロセスの目的がある中で、各国ごとにセンシティブな問題もはらんでおり、それぞれの国の政治的な立場もあります。
その後、044月に国際機関の職員として採用され、UNISDR(ジュネーブ本部)のプログラムオフィサーとして、国連防災世界会議に関するプロセスに従事することになりました。この防災の分野においても、防災協力や防災政策推進の国際的枠組みを策定するために各国の立場を尊重しつつ協調や譲歩を獲得しながら進めていくプロセスがあり、先に経験した人権分野での交渉と共通しています。ジュネーブでの経験は、現在大いに役立っていると言えます。

 

UNISDRを志望した経緯と採用されるに至った自身の強みとは何だと思いますか?

在ジュネーブ国連日本政府代表部に勤務しているときから、国際機関の空席公募をチェックしていたので、UNISDRのプログラムオフィサーの公募を見つけることができました。業務内容が、防災分野における国際的な枠組み策定に関する多国間プロセスや日本政府との交渉を含んでおり、私の国連日本政府代表部での経験が活かせると感じました。国連のプロセスにおいては加盟国が中心に存在し、また加盟国は主要なアクターであり、パートナーでもあります。国連でのプロセスに政府の立場で携わった経験があり、そのような関わり方をよく理解している人材は歓迎されると思います。
人権分野専門調査員として働き始めた頃は、修士を取得したばかりでしたが、外務省や法務省の方々とともに働くことで、大学院での研究だけではわからない、国連加盟国間の国際的な交渉の只中に身を置くことができ、知識と実践を統合し、譲歩と同意を交渉の中で引き出す術を身につけることができました。そうした経験が国際機関での採用にあたってはアピールできるポイントになり、また国際機関の職員になって自らのイニシアチブをとりつつ仕事をすることに役立っていると思います。
 


その後、どのようにキャリア展望を描きましたか?

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一年に及ぶ国連防災世界会議のプロセスに携わり、その最中の0412月にスマトラ島沖地震が起きるなど、重要な時期をUNISDRで経験しました。一見、順調に見えるキャリアステップかもしれませんが、やはり先行きに対する不安が常にありました。国際機関という組織においては、自らアプライしないと次の仕事のポジションにつながっていきません。実際、国連防災世界会議後には、UNISDRの事務局長特別補佐官が空席となったので、そのポジションにアプライし採用され、07年末までの3年間務めました。
さらに08年からUNISDR駐日事務所を神戸に設立することになり、設立と同時に着任し代表代行を経て、091月から同事務所代表に就任しました。
こうしたキャリアを踏まえ、皆さんにアドバイスできるとすれば、国際機関で働くには、国際的な実務経験が評価されるので、若い方々であれば、はじめの一歩としてNGOや青年海外協力隊も検討してみることも勧めたいですね。実際、NGOや青年海外協力隊などの経験を経て国際機関に入った人もいます。
特に女性の社会参画など、ある程度絞ったテーマを既にもっているなら、まず小さな組織でもいいからその分野でのキャリアをスタートさせてみることです。
同時に若い方であれば、海外で修士を取ったとしても、実務経験が限られている場合は、自らの知識や視野が限られたものでしかないことも自覚しておいたほうがよいかもしれません。経験が少ない若いうちに、将来のキャリア展望を絞り込みすぎるのも、選択肢を狭めることにもなり、あまり得策ではないかもしれません。自分の専門性を強化すると同時に、近道ばかりを考えるのではなく、選択肢や窓口をオープンにすることでネットワークが広がり、予想しなかったステップが生まれる可能性もあります。
国際機関はいま多様なアクターと仕事をするので、関心領域の専門家としての経験を積んでいると同時に、広い視野をもった中堅を求めていると思います。国際機関をただちに目指すほうが近道に見えるかもしれませんが、そうでないケースも多くあります。
個人的には、最初の一歩はどんな組織でもいいと思っています。問題は、経験をその後どのように活かすかということです。それによって経験そのものの意味が変わってきます。
最初の一歩から何を吸収するかは自分次第。経験をどう育て、チャンスに変えるかも同様です。
将来に迷う気持ちはわかりますが、多少のリスクを負うことも必要なので、勇気をもって踏み出す。そのような覚悟が国際機関を目指すためには必要だと思います。個人的にも国際的に活躍する日本人の若者が増えることを願っています。(20122月インタビュー実施)

本インタビューは、「見えキャリ 先輩のキャリアマップ」で公開していた内容と同一です。