農村から日本と世界を元気に!~自然塾寺子屋の取り組み~

 群馬県甘楽郡甘楽町は群馬県南西部に位置し、養蚕業を主要産業として発展した町である。現在人口約13000人で、日本の地方が抱える共通問題にもれず、人口減少が進んでいる。
 この甘楽町を拠点として活動を展開するのがNPO法人自然塾寺子屋(以下寺子屋)である。

 寺子屋は元青年海外協力隊の矢島亮一氏(1999~2001年/パナマ/村落開発普及員)が「国際協力を通じて日本の地域づくりを促進させる」という考えのもと2001年に立ち上げたNPO法人。矢島氏は青年海外協力隊の任期を終え帰国後、日本の農業分野における先人の知恵や工夫の積み重ねの経験を国際協力に活用すべきと考えた。しかし、NPO設立までは多くの苦労があった。故郷である群馬県内をくまなく回ったが、矢島氏の考えに対して理解を得ることができなかったからである。活動拠点探しをすること1年、出会いを通じて人脈が広がり、自身の出身地域ではない甘楽町での活動をスタートすることになった。


(研修の様子。矢島氏は中央)

 寺子屋は戦後復興期における「生活改善運動」※のような日本の経験を拠り所とし、国際協力に携わることができる人材の育成や農業と農村での活動を通じた地域活性化などを行っている。代表的な活動は青年海外協力隊技術補完研修、JICA海外研修員受け入れなどであるが、農産物や加工品販売のみならず、農家レストランや農家体験など農業の六次産業化にも事業展開を始めている。どの取り組みも地域を巻き込み、活動している。

 地域の人々は寺子屋の活動をどのようにみているのだろうか。
 青年海外協力隊の技術補完研修員を受け入れている甘楽富岡農業大学校校長の白石義行氏は以下のように語っている。「協力隊候補生は甘楽富岡地域での短い研修期間だけでも多くのことを学び得ていることが実感できる。それ以上に帰国した隊員の大きく成長した姿を見るのは大変嬉しい。また、海外からの研修員を受け入れることによって、地域の人々が『国際協力』を身近に感じるなどの意識の変化が見られている。甘楽富岡地域は寺子屋によって変わった。この地域には外の人々を受け入れる風土がある。町全体で農業を学ぶことができる地域にしていきたいし、その取り組みを通じて地域が発展していくことを望んでいる。」
 同じく受け入れ農家の吉田恭一氏は「協力隊候補生を受け入れることで受け入れ農家間のつながりが強くなった。今後も多くの協力隊候補生を甘楽に送ってほしい。」と受け入れに積極的である。

 青年海外協力隊を経験した人材が日本の地方・地域で活動している成功モデルを作りたいと矢島氏は考えている。実際に寺子屋の取り組みを通じて、協力隊の任期を終えたのち、甘楽富岡地域に移住した人たちがいる。

 高野一馬氏(2007~2009年/モザンビーク/野菜栽培)は、技術補完研修の期間中、甘楽町人々の密なネットワークが印象に残っており、ここで農業をやったら面白いのではないかと考えたという。「日本の農業をかっこよく、魅力的なものに!」と大志を抱いてこの地にやってきて今年で8年が経った。自身の農業が軌道に乗り、事業も拡大している。「まずは自分が農業を楽しむこと、そして農業で稼いで生きていけるということを示したい。」と語る。


(従業員とともに収穫する様子。高野氏は左から1番目)

 高野氏と同様に青年海外協力隊の技術補完研修を甘楽で受けた浅井広大氏(2013~2015年/ネパール/村落開発普及員)は現在甘楽町の地域おこし協力隊として活躍している。ネパールでの青年海外協力隊の活動を通じて感じたことは、ネパールも甘楽町も生活の中心が農業であり、抱える問題が共通しているということだった。また、同氏は地域おこし協力隊の活動をしながら、養蚕業にも挑戦している。現職の任期が終わった後は養蚕農家として独立を考えているからである。以前は養蚕で栄えていた甘楽であったが、現在は農家が5軒しかないことを知った浅井さんは、シルクにはまだまだ可能性があると感じ、自分でやってみようと決心したという。


(繭を抱える浅井氏)

 森栄梨子氏(2011~2013年/ホンジュラス/村落開発普及員)が甘楽町に移住した経緯は少しユニークだ。青年海外協力隊として同国で活動中、甘楽富岡地域で研修を受けたホンジュラス人たちに出会った。京都で生まれ育ち、群馬や農村地域になじみがなかった森氏に、彼らは甘楽の魅力を熱く語ったという。帰国1年後、森氏は甘楽町に移住を決めた。現在は寺子屋の事務局長として幅広く活躍するほか、群馬県と甘楽町の地方創生懇話会委員も務めている。


(研修の様子。森氏は手前中央)

 甘楽町が国際協力を通じた地域活性化によって成功している理由の一つが外部の人々を受け入れる風土である。国内の多くの農山漁村で過疎化が進む中、甘楽町に永住しようとする若者たちがいる。それを可能にしたのは農村地域に特有の閉鎖的な雰囲気がないこと、『よそ者』を暖かく受入れ、農業を通じて地域を盛り上げようとする人々がいるからこそである。

 甘楽町長の茂原荘一氏は次のように述べている。「寺子屋の活動を通じて町は多くの刺激をもらっている。町の人口が減少する中、青年海外協力隊経験者の移住者が現れはじめた。協力隊を経験した人はまじめで素直、柔軟性もあり、目的を明確に持っているなどの資質を備えていることが多い。よそから地域に入ることは大変だという人もいるが、我慢強く頑張っている姿を見ると地域の人々は応援したくなる。協力隊を経験し、日本を見つめなおすことができる人材として今後も移住者を迎え入れ、町として就農を支援する体制を整えていきたい。」

 JICAに日本の地方創生への貢献も期待される中、寺子屋の活動は協力隊の技術補完研修を皮切りに、途上国研修員への受け入れ、海外事業への参画まで広がっている。さらに帰国隊員のIターン定住者が現れるなど、地域の活性化にも大いに貢献している。寺子屋と甘楽町の協力関係は、国際協力と地方創生をつなぐグッドプラクティスと言えるだろう。

※生活改善運動:第二次世界大戦後の約20年間(1945年から1964年頃)にわたって、日本全国で展開された生活改善、栄養改善、新生活、環境改善など、多様な主体によって繰り広げられた近代化、合理化、民主化を目指した活動。
(出所:佐藤寛監修(2014年)、『国際協力用語集』【第四版】、国際開発ジャーナル社)