第105号 PARTNERコラム主夫 兼 国際協力NGO代表 ~ケニアからシリアを支援する~

僕が住んでいるのは、ケニアの首都ナイロビ。部屋の窓から緑いっぱいの風景が広がりますが、車で市内に向かえば高層ビルが建ち並び、郊外に向かえばシマウマが草を食べている風景に出くわします。高層ビルとキリンやライオンが一緒に映っている写真が撮れる国立公園もあります。

ケニアのアンボセリ国立公園にて。一生分くらい象を見ました(2023年)。
ケニアのアンボセリ国立公園にて。一生分くらい象を見ました(2023年)。

なぜ僕がケニアにいるかというと、JICA専門家として働く妻の「随伴家族」だからです。朝7時に妻が出勤するので、僕は5時過ぎに起きてコーヒーを淹れ、朝ご飯の準備をし、見送りをした後に洗濯物を干します。夕方頃、洗濯物を畳み、近くのスーパーで買い物をして、晩ご飯の準備。炭水化物は朝しか食べない、という妻の好みに合わせて、3~4品ほどの料理を作ります。ヘトヘトになって帰ってきた妻を玄関で出迎え、今日あった出来事を話しながら晩ご飯を食べ、映画やNetflixを観たりしながらゆっくりと過ごします。

そんな主夫業と兼業で行なっているのが、NPO法人Piece of Syria代表理事です。2011年から続くシリアの戦争は今もなお終結していません。その中で、最も危惧されているのが「教育」です。そこで、2016年にシリア支援団体Piece of Syriaを立ち上げ、シリアの国内避難民向けに幼稚園や小学校を運営し、基礎教育と共に心のケアのためのアクティビティを実施しています。

僕はJICA海外協力隊として、2010年3月までの2年間、シリア北部で活動していました。実は、2011年に戦争が始まる前のシリアは、就学率99.6%で大学まで無料、医療や出産も無料、治安は日本以上によく、108%の自給率で野菜・果物も安い国でした。

任地の村の小学校にて(2009年)。
任地の村の小学校にて(2009年)。

しかし、かつて当たり前だった教育や平和な日常が、戦争によって奪われていく中で、「何かできることを」と思い、中東・欧州で難民となったシリアの人たちや支援団体を訪ねました。そして、トルコでパートナーとなるシリア人NGOと出会い、6年間で2,600人の子どもたちに教育を届けています。シリアには入国できないため、トルコと日本を往復していましたが、2020年以降のコロナ禍でそれもできなくなりました。オンラインでの活動に切り替えると、支援者もスタッフも増えて、活動がより活発になりました。そのタイミングで妻のケニア駐在が決まりました。妻とは、結婚後もほとんど別の国で生活することが多かったので一緒にいたいと思い、ケニアに一緒に行くことにしました。

Piece of Syriaがシリア北西部で運営しているSAKURA幼稚園(2022年)。
Piece of Syriaがシリア北西部で運営しているSAKURA幼稚園(2022年)。

Piece of Syriaの日本人スタッフは、大阪・静岡・愛知・東京・サンフランシスコ・パレスチナ・ナイロビと、様々な場所にいながら活動しています。何より、代表が活動地でない国にいるのは不思議かもしれません。ですが、シリアで協力隊の活動をしている際、何度も「どうして家族と一緒にいないのか?まずは、あなたが家族と共に豊かな時間を過ごすべきだ」と言われました。だから、シリアの人たちに胸を張って活動をするためにも、「家族も大事にしていきたい」と考えています。

そして、私たちの活動を支えるのは社会人プロボノと学生ボランティアです。もしご興味があれば、私たちの団体のサイトやSNSを見にきてください!お待ちしています。

特定非営利活動法人Piece of Syria
創設者・代表理事
中野 貴行
https://lit.link/pieceofsyria

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