コラム 地球規模で生きる人

白木 夏子(しらき・なつこ)さん(株式会社HASUNA)

貧困も紛争も、別世界の話だと思っていた学生時代。ある出会いが、その後の人生を変えた。

ファッションが大好きで、集団行動はちょっと苦手。外で友だちと遊ぶより洋服やアクセサリーづくりを好んでいた少女は、数年後に日本を飛び出し、27歳でエシカルジュエリーブランド「HASUNA」を立ち上げました。
今回ご紹介するのは、国内エシカルジュエリーのパイオニア、白木夏子さん。日本人のほとんどが知らなかったエシカルジュエリーを国内に広め、世界約10カ国の宝石鉱山労働者や職人と共に、人権や環境に配慮したモノづくりに取り組んでいます。白木さんが世界で起きている問題に目を向け、起業を果たすまでには、さまざまな人との出会いがありました。全3回のシリーズでお届けします!

人生の方向性を決定づけた、フォトジャーナリスト桃井さんとの出会い。

海外への留学を考えるようになったのはいつ?

海外留学を決心したのは、高校3年生になってから。卒業と同時の進学はもう間に合わないから、受験勉強をするために英語教育に実績のある短大へ進学することにしたんだ。2年後の海外留学を見据えて、「とにかく英語力を身につけよう」と。そのときは「海外の大学で学びたい」という気持ちだけで、まだ世界で起きている問題については考えてなかった。

世界で起きている問題に目を向けるようになったのは、どうして?

進学した短大は、カトリック系の学校だったの。社会貢献活動にすごく力を入れていて、ほぼ全員が何かのボランティア活動に参加するんだ。海外留学を目指していた私にとって、ボランティアの経験は無駄にはならない。だから、「ちょっとやってみようかな」という軽い気持ちで、いろいろなボランティアに参加したんだ。あるとき、ストリートチルドレンの就学支援をする団体の活動で、フィリピンを訪れる機会があった。そこで目にしたのは、有名な「スモーキー・マウンテン」と呼ばれるゴミの山と、そこで働く幼い子どもたち…。貧困の現実を生まれて初めて見た私は、とてもショックを受けて。今まで、テレビの向こう側で起きていた別世界の出来事はまさに今、この地球で起きていることなんだと実感した瞬間だった。

貧困の現実を目の当たりにしたことで、社会問題に意識が向いたという白木さん。
貧困の現実を目の当たりにしたことで、社会問題に意識が向いたという白木さん。
他にも影響を受けた出来事はある?

フォトジャーナリストの桃井和馬さんとの出会いかな。短大に入って間もなく、学校で桃井さんの講演会が開かれたんだ。人に誘われて参加したんだけど、話を聞くうちにどんどん心を揺さぶられて。桃井さんは世界100か国以上をまわり、紛争や貧困の現実、密輸などの状況を写真におさめているフォトジャーナリスト。途上国や紛争地帯を実際に見てきた人の体験談は、とてもリアルで衝撃的だったの。桃井さんの話に感銘を受けた私は、「海外へ行くからには、世界の社会問題に貢献できるような仕事がしたい」と考えるようになったんだ。

家族の応援もあって、念願の英ロンドン大学へ進学!ところが…

短大を卒業したあと、イギリスのロンドン大学へ留学したんだね。そこでは、何を学んでいたの?

ロンドン大学では開発地理学を専攻して、過去に行われた国際協力のケーススタディなどをやっていたよ。例えば、アフリカのサブサハラ地域で水不足になったときは、乾燥に強いイモを輸入して植えているとか。他にも、カンボジアの水田プロジェクトで、日本人が灌漑(かんがい)技術を教えたことで収穫量が3倍になったとか。実際のプロジェクトから問題解決の方法などを学んでいたんだ。南インドでNGOインターンに参加したのも、このときだよ。

イギリスでの生活は順調だったの?

それが…実は入学して半年くらいは、毎日「帰りたい」って泣いていたの(笑)。まず、授業が分からない。先生がみんなキレイな英語を話してくれるわけではないから、訛りがある先生だと何を言っているか聞き取れない。ボイスレコーダーを授業に持ち込んで、録音してくりかえし聞いてみたけどそれもダメで。「もう授業に出たくない!」ってやけになっていたよ(笑)。それにイギリスは雨が多いし、食事も口に合わなくて…完全にホームシックになってしまった。でも、家族はこの留学をすごく応援してくれていたし、海外行きを推してくれた祖父も励ましの手紙をくれていたから…「辛い」なんて、とても言いだせなかったよ。

それは大変だったね。どうやって乗り越えたの?

授業は聞いても分からないから、とにかく先生が授業で紹介した課題図書を読み漁った。あとはクラスメイトにノートをコピーさせてもらって、授業の要点を確認したり…それをくりかえしているうちにようやく慣れて、1年後にはみんなと同じく授業が分かるようになったんだ。辛い時期を乗り越えられたのは、やっぱりクラスメイトのおかげかな。クラスには中米や南米、アフリカなど英語を母国語としない人もたくさんいて、みんな私と同じように聞き取れない英語に四苦八苦してた。だから、励まし合ってがんばることができたんだ。そのときの仲間とは、今でも仲良くしているよ。

留学時代はクラスメイトとのつながりに支えられていたという。
留学時代はクラスメイトとのつながりに支えられていたという。

途上国の人たちと、対等なパートナーとしてビジネスを展開したい。

ロンドン大学を卒業したあとは、どうしたの?

前回話したように、南インドの鉱山での過酷な労働を目の当たりにしてから、「この現実を何とかしなければ」と考えるようになった。そのためには、NGOやNPO、国連に行く道もあるだろうと考えて、卒業後は国連でインターンをしたんだ。でもだんだん「支援よりも、ビジネスの中で社会貢献がしたい」と考えるようになって…その方法を模索している頃に、ベトナムでファッションビジネスを展開している起業家たちに出会ったの。ベトナムの女性は手先が器用で、刺しゅうや細かい作業がとても上手い。起業家たちは、そんなベトナムの女性を下請けではなく、対等なビジネスパートナーとして力を合わせ、素敵なカバンや洋服を作っていた。関わる人みんながすごく楽しそうで、「これが私の目指すべき理想の姿だ」と思ったんだ。

白木さんはエシカルジュエリーの分野で、それを実現したいと思ったんだね。

そうだね。でも、私はビジネスの知識がなかったから、いったん日本に戻って不動産投資ファンドに就職することにしたんだ。そこでビジネスの仕組みを学びつつ、3年間働いた。その間も、ジュエリーの専門学校に通ったり、起業家の話を聞いたり、SNSで情報収集をしたりと、起業の準備を進めていったんだ。JICAの海外協力隊も、すごく力になってくれたよ。例えば、中米のベリーズの隊員さんが、ジュエリーの素材となる貝殻の研磨職人を紹介してくれたり、ルワンダで臨床心理士をしていた隊員さんが、牛の角の研磨工場を紹介してくれたり…。そんな感じで少しずつ目標に近づき、2009年、ついにHASUNAを立ち上げることができたんだ。

写真左:仕入れ先開拓をする白木さん 写真右:ジュエリーの素材となる牛の角
写真左:仕入れ先開拓をする白木さん 写真右:ジュエリーの素材となる牛の角

短大や留学先、その後のさまざまな出会いによって、目指すべき道を見つけた白木さん。でも、「幼い頃は人と関わることが苦手だった」という話も…?どんな気持ちの変化があったのかな? それは、また次回!

※本記事の取材は、2021年1月にオンラインにて実施しています。

プロフィール

白木 夏子(しらき・なつこ)さん(株式会社HASUNA)

英ロンドン大学卒業後、国際機関、投資ファンドを経て2009年にHASUNAを設立。
ジュエリーブランドHASUNAでは、ペルー、パキスタン、ルワンダほか世界約10カ国の宝石鉱山労働者や職人とともにジュエリーを制作し、 エシカルなものづくりを実践。”未来へと受け継がれるジュエリーブランド”として、日本におけるエシカル消費文化の普及につとめる。女性の働き方や起業、ブランディング、サスティナビリティ、ウェルビーイング、SDGs等をテーマに国内外で講演活動も行っている。
2011年、日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2011キャリアクリエイト部門受賞をはじめとして、 2013年には世界経済フォーラム(ダボス会議)にGlobal Shaperとして参加。2014年には内閣府「選択する未来」委員会委員を務め、Forbes誌「未来を創る日本の女性10人」に、2017年にはCNNが選んだ日本人女性「リーディング・ウーマン・ジャパン」に選ばれるなど、世界的にも注目を集める起業家である。