第3号 連載コラム 私のターニングポイント① 「自分の目で見て確かめよう」

私が、国際協力の道を歩む上での人生のターニングポイントは3つある。

原点は高校3年生の夏休みだ。自宅で世界の現状を紹介する特別番組を見ていて、ガーナのカカオ農園で働く幼い兄弟の話を知り、「アフリカには学校に行きたくてもいけない子たちがいるのか」と衝撃を受けたのが最初のターニングポイントだ。

その番組を見てから「将来はアフリカのために働きたい」という夢を持ち、国際協力を学べる拓殖大学に進学した。大学では国際協力機構(JICA)出身の先生や、国際協力のさまざまな分野に精通している教授陣から、PCM(プロジェクト・サイクル・マネジメント)手法など国際協力業務の基礎学が学べて充実した日々を過ごしていた。

一方で、2年生の春になると、「現場に行かないと真実は分からない」という自らの信条のもと、アフリカの現地のことを無性に自らの目で見たくなった。そんな時に、キャンパスの掲示板に張り出されていた「アフリカスタディーツアー」というチラシの文字が目に飛び込んできた。「これだ」と思い、すぐに担当教授のもとを訪ねた。そして、2007年の夏に自身初のアフリカであるルワンダ共和国に足をおろしたのが、2つ目のターニングポイントになった。

いよいよルワンダに向けて出発するケニア・ナイロビの空港にて

ルワンダには大学教授とジャーナリストの方が同行し、私も含めた学生ら合計16名で、ルワンダ大虐殺の現場を視察した。衝撃的だったのは、南西部のギコンゴロ郊外にあるムランビの虐殺跡を訪れた時だ。そこには、当時の悲劇を忘れないようにと一部の犠牲者の遺体に石灰をかけて、当時の姿のままで遺体が保存されていた。参加した皆、絶句だったが現実と向き合いその光景を目に焼き付けた。

その後、生存者の方にインタビューも行った。その方は、家族を殺され自らは命からがら逃げられたと当時の話をしてくれた。また、「今も心の傷が癒えたわけではないが、新しい家族と新しい命と共に前に歩みだしている」と、幼い娘さんを抱きかかえ私たちに紹介してくれた。その姿は今でも忘れられない。

虐殺が行われたのは多くの人が逃げ込んだ教会などだった

私がルワンダに滞在したのはたった数日間だったが、“歴史に残る悲劇はあったけれど未来に向かい前に進もう” との国全体からの活力を感じた。2018年の現在ではアフリカ随一のIT立国として発展している。そして、この時の体験がきっかけで「将来はアフリカのために働きたい」という自身の“夢”が“目標”に変わった。

私は「自らで体験すること」がとても重要だと思う。既に言われているだろうが、「学生のうちは、やる気次第で何にでも挑戦できる」。学生の皆さんには大学の制度などを活用して、ぜひ短期間でもいいので日本から飛び出してもらいたい。その一歩が、人生を変えるきっかけにもなるだろうし、国際協力の道を歩む上で自らの大きな支えになるはずだ。

生き生きとした子供たちの姿

(株)国際開発ジャーナル社 田中 信行

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