気候変動問題の解決に貢献したい! ホテル・金融・国際協力、全ての道はひとつに繋がる
石鍋 渚さん
国際協力関連機関 / 財団法人 地球環境戦略研究機関(IGES)気候変動グループ 研究員 / 30代
キャリア年表
インタビュー
国際協力に興味をもったきっかけは何ですか?
子供の頃からドキュメンタリーが好きで、よく見ていたのですが、戦争や貧困を描いた作品を見るたびに、世の中の不条理さに対する疑問を感じていました。問題解決のために何が必要なのか、自分に何ができるのか分からない。でも、いつか何かしたいと思っていました。
これまでのキャリアの積み方、キャリア選択における軸や考え方をお聞かせください。
社会の不条理さを解決する鍵を見つけたい。そんな期待を胸に抱きつつ、米国に留学。そこで、社会を変えるには、ビジネスを知らなくてはならないと考えるようになりました。留学当初は、リベラルアーツ・スクールで人文・社会・自然科学など様々な学問を勉強しました。その時、企業活動により、環境や文化の破壊が引き起こされてしまったケースが多くあること、そしてそれらが、法的枠組みの緩い途上国で頻発しており、中には悪影響が起きるのを想定できるのにもかかわらず、規制が無いからという理由で事業を進めてしまう企業が存在することを知りました。
途上国の人々の生活や環境が、私たちの社会経済を支える企業活動によって傷つけられていることを知り、胸が痛みました。しかし合法的に活動を行っている以上、企業だけを責めるわけにはいかない。私たちの社会経済システムそのものを変革させる必要性を感じました。そして変革を誘導するには、まずはビジネスをしっかり理解しなくてはならないと考えるようになりました。
その後、ビジネスを理解するには、ビジネス・スクールに行くのが最も効率的と、リベラルアーツ・スクールからホテル・スクールへと転校しました。コーネル大学ホテル経営学部は、ホスピタリティ業界において多くの経営者を輩出する世界最高峰のスクールです。ひとことにビジネスと言っても、ビジネスの幅は広いので、ある程度専門を絞ることが重要だと考え、将来いつか開発の世界に進む時にもきっと役に立つはずと、石油など特別な資源の無い国でもビジネスを展開できる観光・ホスピタリティ産業を選択しました。そこでホテル・スクールに入学することを決めたのです。日本では馴染みが無いかもしれませんが、コーネル大学のホテル・スクールは、ホスピタリティ業界に特化したビジネス・スクールです。会計、金融、商法、マーケティングや戦略等を学び、経営者・投資家など様々な視点から、ビジネスを包括的に理解することが求められます。インターンとして、ホテルの運営、評価そして投資を、マリオットホテル、KPMG、ローンスター・ファンドで経験しました。しかもホテル・スクールでは、最低800時間のインターンシップ(有償)をこなすことが卒業条件のひとつです。大したスキルも経験もない大学生が、有償のポストを探すのは本当に難しく、ワシントンD.Cにあるマリオットホテルでのインターンシップを獲得するに至るまでには、実に100通以上の応募書類を出しました。米国においてインターンシップの選考が厳しいのは、インターンシップが幹部候補生の選考プロセスの一環でもあるからですが、今振り返っても、このひとつ目のインターン先を見つけるのが、就職活動のなかで一番大変だったと思います。
翌夏には、会計コンサルティング・ファームのKPMGのホテル・チームで、当時経営破綻しマスコミを賑わしていた九州の大型リゾートの企業価値評価に参加しました。KPMGでのインターンを望んだのは、ホテル・スクールで会計や金融を勉強するなかで、ビジネスにおいては、お金の流れを把握することが、とても重要だと考えるようになったからですが、ここで会計デューディリジェンス(Due Diligence:投資家が投資対象の適格性を把握するために行う調査活動)のお手伝いをさせてもらう中、実際に自分たちのアドバイスが投資家にどのように利用されているのか、また彼らがどのように投資判断を行っているのか知りたくなり、次は是非、投資ファンドで働きたいと思うようになりました。
そして翌夏、当時ホテルに対する投資を活発に行っていたローンスター・ファンドでインターンの機会を得て、その後約一年半、ホテルの買収価格の算定から、買収したホテルの再生プランの作成など、様々な業務に携わりました。本当に充実した毎日で、これぞベスト・ジョブと思っていた反面、将来社会貢献をするためには、若いうちに、もっと自分自身の知識と経験の幅を広げなければならないという気持ちが、ずっと頭の中から消えずにいました。
そしてコーネル大学卒業後は、UBS証券投資銀行本部に就職しました。ホテル・スクール卒業後すぐに就職することも考えたのですが、将来国際機関で働くのであれば、早めに修士号を取得しておいた方が良いと考え、ホテル・スクール3年生の時に、同じコーネル大学の公共政策大学院を受験しました。今、過去を振り返って、あの時、大学院に進学して本当によかったと思います。仕事をしつつTOEFLやGRE
(Graduate Record Examination:アメリカ合衆国やカナダの大学院へ進学するのに必要な共通試験)を勉強し留学準備をするのは大変ですし、そこで時間と気力を取られてしまうと、次のキャリアに進むモメンタムが失われてしまいかねないと思うためです。
UBS証券でのポストは、毎年秋に留学生を対象に開催されるボストンキャリアフォーラムで獲得しました。投資銀行で勤めたいと思ったのは、資本市場におけるダイナミクスを肌で感じたかったからですが、収益性と成長性が追求され、着実にリターンを出さなければ、いともあっさりと切り捨てられてしまう資本市場において、シビアな競争にさらされる企業、そして同様に結果を出せなければ退場を余儀なくされる投資家達の姿を目の当たりにし、やはり対峙すべきは、企業や投資家といった社会の構成員の一部ではなく、彼らを突き動かすシステムそのものなのだという考えを新たにすることになりました。加えて投資銀行での経験は、効率性と結果を追求した仕事の進め方の基礎を確立し、その後公共分野で働く上でも役立ちました。
東京オフィスで働いて2年後の2007年7月、希望が叶って、ニューヨークオフィスに出向させてもらえることになりました。しかし渡米後まもなくサブプライム問題が顕著化し、資本市場は崩壊し、グローバルな社会経済システムが抱える歪みを目の当たりにすることになりました。サブプライム問題では、リスクを認識していたにもかかわらず、ババを抜かなければ大丈夫と、バブルがはじけるまで、利益を追求してしまった人間のエゴの強さと、実際にそれをコントロールすることの難しさを教わりました。ニューヨークでは仕事が開店休業状態だったこともあり、夜、コロンビア大学の公共政策大学院のオープンクラスに参加するようになりました。そこで外務省の人材育成プログラム(広島平和構築プログラム)の存在を知ったのです。
平和構築というと何だかとても特殊で、他の開発分野とは一線を画していると思われがちですが、裾野は広く、武装解除や治安維持と並行して、開発のマスタープランを立て、国や地域を平和へと導く一連のプロセス全てを指します。私が特に注目したのは、気候安全保障の分野で、気候変動の影響によって生じうる紛争を如何に食い止め、また人々の安全を如何に確保するかは、気候変動の発生リスクそのものを抑えるのと同様に、非常に重要な課題だと考えました。そしてその対処法の一角が見えるかもしれないと思い、プログラムに応募することにしたのです。
2008年プログラムに合格し、広島大学で平和構築に関する講義を受けた後、国連開発計画(UNDP)スリランカ事務所での勤務をスタートしました。当時スリランカは内戦末期で、街中を軍が取り囲んでいるのにも係らず、自爆テロが横行するような状況だったのですが、人々は明るく、戦後のビジネス・チャンスを期待している姿が印象的でした。一方で、言論統制や人権侵害の度合いは甚だしく、また長年に亘る内戦により、人々の心が荒廃してしまっている部分があったのも事実で、いつも乗っていた三輪タクシーの運転手が敵対する民族の人々の死をラジオで聞いて喜ぶ姿をみるのが辛かったです。
所属していた環境・エネルギーチームでは、スリランカの主要産業が観光だったこともあり、エコツーリズムや観光業界でのカーボンオフセットのプロジェクトを計画したり、戦後実施したい戦略的環境アセスメントの企画書をまとめたりしました。調査をしていて驚いたのが、2004年のスマトラ沖大地震・津波の後に、先進国ドナーや国際機関・NGOにより建設された住宅のなんと9割以上で、住民が常に悪臭や病原菌と戦っているという事実(CIDAプロジェクト報告書 Environmental Assessment of Tsunami Housing Reconstruction\, SriLanka
(2007)による)でした。水源地のない粘土質の土壌地域にコミュニティーを移転させたため、飲み水が確保できないばかりか、雨が降ると洪水が起き、排泄物が流されていたのです。開発のプロが指揮した復興プロジェクトなのに、こんな失敗の仕方をするものかと、環境アセスメントをしないまま、開発を進めることの恐ろしさを知りました。
環境そして気候変動問題は、現在のみならず、将来世代のすべての子どもたちの生きる権利を奪いかねません。私はこれこそ、幼い頃から感じていた不条理さの解決の上で進むべき道であり、私が人生をかけて取り組むべき課題であると思いました。
途上国の人々の生活や環境が、私たちの社会経済を支える企業活動によって傷つけられていることを知り、胸が痛みました。しかし合法的に活動を行っている以上、企業だけを責めるわけにはいかない。私たちの社会経済システムそのものを変革させる必要性を感じました。そして変革を誘導するには、まずはビジネスをしっかり理解しなくてはならないと考えるようになりました。
その後、ビジネスを理解するには、ビジネス・スクールに行くのが最も効率的と、リベラルアーツ・スクールからホテル・スクールへと転校しました。コーネル大学ホテル経営学部は、ホスピタリティ業界において多くの経営者を輩出する世界最高峰のスクールです。ひとことにビジネスと言っても、ビジネスの幅は広いので、ある程度専門を絞ることが重要だと考え、将来いつか開発の世界に進む時にもきっと役に立つはずと、石油など特別な資源の無い国でもビジネスを展開できる観光・ホスピタリティ産業を選択しました。そこでホテル・スクールに入学することを決めたのです。日本では馴染みが無いかもしれませんが、コーネル大学のホテル・スクールは、ホスピタリティ業界に特化したビジネス・スクールです。会計、金融、商法、マーケティングや戦略等を学び、経営者・投資家など様々な視点から、ビジネスを包括的に理解することが求められます。インターンとして、ホテルの運営、評価そして投資を、マリオットホテル、KPMG、ローンスター・ファンドで経験しました。しかもホテル・スクールでは、最低800時間のインターンシップ(有償)をこなすことが卒業条件のひとつです。大したスキルも経験もない大学生が、有償のポストを探すのは本当に難しく、ワシントンD.Cにあるマリオットホテルでのインターンシップを獲得するに至るまでには、実に100通以上の応募書類を出しました。米国においてインターンシップの選考が厳しいのは、インターンシップが幹部候補生の選考プロセスの一環でもあるからですが、今振り返っても、このひとつ目のインターン先を見つけるのが、就職活動のなかで一番大変だったと思います。
翌夏には、会計コンサルティング・ファームのKPMGのホテル・チームで、当時経営破綻しマスコミを賑わしていた九州の大型リゾートの企業価値評価に参加しました。KPMGでのインターンを望んだのは、ホテル・スクールで会計や金融を勉強するなかで、ビジネスにおいては、お金の流れを把握することが、とても重要だと考えるようになったからですが、ここで会計デューディリジェンス(Due Diligence:投資家が投資対象の適格性を把握するために行う調査活動)のお手伝いをさせてもらう中、実際に自分たちのアドバイスが投資家にどのように利用されているのか、また彼らがどのように投資判断を行っているのか知りたくなり、次は是非、投資ファンドで働きたいと思うようになりました。
そして翌夏、当時ホテルに対する投資を活発に行っていたローンスター・ファンドでインターンの機会を得て、その後約一年半、ホテルの買収価格の算定から、買収したホテルの再生プランの作成など、様々な業務に携わりました。本当に充実した毎日で、これぞベスト・ジョブと思っていた反面、将来社会貢献をするためには、若いうちに、もっと自分自身の知識と経験の幅を広げなければならないという気持ちが、ずっと頭の中から消えずにいました。
そしてコーネル大学卒業後は、UBS証券投資銀行本部に就職しました。ホテル・スクール卒業後すぐに就職することも考えたのですが、将来国際機関で働くのであれば、早めに修士号を取得しておいた方が良いと考え、ホテル・スクール3年生の時に、同じコーネル大学の公共政策大学院を受験しました。今、過去を振り返って、あの時、大学院に進学して本当によかったと思います。仕事をしつつTOEFLやGRE
(Graduate Record Examination:アメリカ合衆国やカナダの大学院へ進学するのに必要な共通試験)を勉強し留学準備をするのは大変ですし、そこで時間と気力を取られてしまうと、次のキャリアに進むモメンタムが失われてしまいかねないと思うためです。
UBS証券でのポストは、毎年秋に留学生を対象に開催されるボストンキャリアフォーラムで獲得しました。投資銀行で勤めたいと思ったのは、資本市場におけるダイナミクスを肌で感じたかったからですが、収益性と成長性が追求され、着実にリターンを出さなければ、いともあっさりと切り捨てられてしまう資本市場において、シビアな競争にさらされる企業、そして同様に結果を出せなければ退場を余儀なくされる投資家達の姿を目の当たりにし、やはり対峙すべきは、企業や投資家といった社会の構成員の一部ではなく、彼らを突き動かすシステムそのものなのだという考えを新たにすることになりました。加えて投資銀行での経験は、効率性と結果を追求した仕事の進め方の基礎を確立し、その後公共分野で働く上でも役立ちました。
東京オフィスで働いて2年後の2007年7月、希望が叶って、ニューヨークオフィスに出向させてもらえることになりました。しかし渡米後まもなくサブプライム問題が顕著化し、資本市場は崩壊し、グローバルな社会経済システムが抱える歪みを目の当たりにすることになりました。サブプライム問題では、リスクを認識していたにもかかわらず、ババを抜かなければ大丈夫と、バブルがはじけるまで、利益を追求してしまった人間のエゴの強さと、実際にそれをコントロールすることの難しさを教わりました。ニューヨークでは仕事が開店休業状態だったこともあり、夜、コロンビア大学の公共政策大学院のオープンクラスに参加するようになりました。そこで外務省の人材育成プログラム(広島平和構築プログラム)の存在を知ったのです。
平和構築というと何だかとても特殊で、他の開発分野とは一線を画していると思われがちですが、裾野は広く、武装解除や治安維持と並行して、開発のマスタープランを立て、国や地域を平和へと導く一連のプロセス全てを指します。私が特に注目したのは、気候安全保障の分野で、気候変動の影響によって生じうる紛争を如何に食い止め、また人々の安全を如何に確保するかは、気候変動の発生リスクそのものを抑えるのと同様に、非常に重要な課題だと考えました。そしてその対処法の一角が見えるかもしれないと思い、プログラムに応募することにしたのです。
2008年プログラムに合格し、広島大学で平和構築に関する講義を受けた後、国連開発計画(UNDP)スリランカ事務所での勤務をスタートしました。当時スリランカは内戦末期で、街中を軍が取り囲んでいるのにも係らず、自爆テロが横行するような状況だったのですが、人々は明るく、戦後のビジネス・チャンスを期待している姿が印象的でした。一方で、言論統制や人権侵害の度合いは甚だしく、また長年に亘る内戦により、人々の心が荒廃してしまっている部分があったのも事実で、いつも乗っていた三輪タクシーの運転手が敵対する民族の人々の死をラジオで聞いて喜ぶ姿をみるのが辛かったです。
所属していた環境・エネルギーチームでは、スリランカの主要産業が観光だったこともあり、エコツーリズムや観光業界でのカーボンオフセットのプロジェクトを計画したり、戦後実施したい戦略的環境アセスメントの企画書をまとめたりしました。調査をしていて驚いたのが、2004年のスマトラ沖大地震・津波の後に、先進国ドナーや国際機関・NGOにより建設された住宅のなんと9割以上で、住民が常に悪臭や病原菌と戦っているという事実(CIDAプロジェクト報告書 Environmental Assessment of Tsunami Housing Reconstruction\, SriLanka
(2007)による)でした。水源地のない粘土質の土壌地域にコミュニティーを移転させたため、飲み水が確保できないばかりか、雨が降ると洪水が起き、排泄物が流されていたのです。開発のプロが指揮した復興プロジェクトなのに、こんな失敗の仕方をするものかと、環境アセスメントをしないまま、開発を進めることの恐ろしさを知りました。
環境そして気候変動問題は、現在のみならず、将来世代のすべての子どもたちの生きる権利を奪いかねません。私はこれこそ、幼い頃から感じていた不条理さの解決の上で進むべき道であり、私が人生をかけて取り組むべき課題であると思いました。
現在の業務について、具体的にどのようなことを担当されていますか?
私の現職は、地球環境戦略研究機関(IGES)気候変動政策分野の研究員です。IGESは日本政府により設立された国際機関で、主にアジアの環境問題の解決を目指した研究活動を進めています。私は国内温暖化対策と国際的な気候変動枠組交渉の内容をフォローしており、環境と金融・ビジネスの架け橋となれるような研究を進めるべく、今は、炭素税や排出量取引制度などの炭素制約が個別企業に与える影響を経済学の手法を用いて計算したり、それを基に、金融機関が持続可能性を鑑みた投資を行う際に使えるようなインデックスを開発したりしています。また京都議定書の第一約束期間の終了する2012年以降の市場メカニズムのあり方について考え、国際会議等で発表したりもしています。
今後の目標やキャリアプランをお聞かせください。
私の夢は、気候変動の影響を最小限に食い止め、平和な社会を築くことです。今のままでは、私たちの子供・孫の世代には、世界の平均気温が2-4度上昇し、30%以上の種が絶滅し、干ばつや洪水・暴風雨等の災害が起き、世界中で水と食料を求めた戦争が起こりかねません。問題はあまりにも大きく、私はまだ自分自身が世界にどれだけ貢献できるか分かりませんが、これまでの経験を基に、点を線へそして面へ繋げ、新しい道を切り開いていきたいと考えています。
国際協力の道を目指す方に向けてのメッセージをお願いします。
自分の未来を信じて、夢に向かって走り続ける。これこそが私が最も大切にしていることです。人生には色々な転機があって、新しい一歩を踏み出そうとする時はいつも、今まで築いてきたものを壊してしまうのではないか、自分は誤った選択をしているのではないかと思い悩むものだと思います。私もそうです。でも新しい一歩を踏み出すことは、過去を捨てるのではなく、過去と新しい関係を築くことなのだと気づきました。そして迷ったら、自分自身の心に聞いてみると良いことにも気づきました。そうすると自然と自分の進まなければいけない道が見えてくるように思うのです。
またこれはいくつかの国と業界で働いてみて思うことですが、ひとつの国や業界での常識は、必ずしも他で通用するとは限りません。例えば金融業界では結果が最優先されますが、国際協力や政策決定の場ではプロセスが非常に重要で、結論を急ぐと必ずしも良い結果が生み出されないのです。柔軟で、ひとつの考えに固執しないことが重要だということも学びました。若いうちに色々な業界で経験を積んでおくのは、自分自身が柔軟なうちに、色々な人に容赦なくダメ出しされ、考えを修正できるという点で、非常におススメです。
キャリアを効率良く形成するには、戦略が大切です。そしてそれと同じくらい、努力と運をつかむ強い心が必要です。少しくらい失敗しても、諦めないで、成功するまで努力し続けることこそが、成功の鍵だと思っています。
最後に、私はひとりではなく、多くの人達にサポートされながら生きているのだということを感じています。悩んだり落ち込んだりするとき、何でも相談出来て頼りになる友人や先輩がいるというのは、本当に有難いことです。ですから、自分自身が努力するのはもちろんですが、自分が羽ばたくのをサポートしてくれる人たちを大切にして、自分自身のコミュニティーを形成してほしいですね。
※本記事は、2010年10月1日時点での情報となります。
またこれはいくつかの国と業界で働いてみて思うことですが、ひとつの国や業界での常識は、必ずしも他で通用するとは限りません。例えば金融業界では結果が最優先されますが、国際協力や政策決定の場ではプロセスが非常に重要で、結論を急ぐと必ずしも良い結果が生み出されないのです。柔軟で、ひとつの考えに固執しないことが重要だということも学びました。若いうちに色々な業界で経験を積んでおくのは、自分自身が柔軟なうちに、色々な人に容赦なくダメ出しされ、考えを修正できるという点で、非常におススメです。
キャリアを効率良く形成するには、戦略が大切です。そしてそれと同じくらい、努力と運をつかむ強い心が必要です。少しくらい失敗しても、諦めないで、成功するまで努力し続けることこそが、成功の鍵だと思っています。
最後に、私はひとりではなく、多くの人達にサポートされながら生きているのだということを感じています。悩んだり落ち込んだりするとき、何でも相談出来て頼りになる友人や先輩がいるというのは、本当に有難いことです。ですから、自分自身が努力するのはもちろんですが、自分が羽ばたくのをサポートしてくれる人たちを大切にして、自分自身のコミュニティーを形成してほしいですね。
※本記事は、2010年10月1日時点での情報となります。
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