各国の現場で中小企業に関わるのが楽しい。ただその一心。

舟橋 學さん

国際協力機構(JICA) 国際協力機構(JICA) 産業開発・公共政策部 50代

  • 国際協力専門員
  • 民間セクター開発
  • キャリア年表

    大学学部生

    1987~1991年

    経営学を専攻。

    北欧の企業で研修生

    1991~1992年

    大学卒業後、デンマークとスウェーデンで勤務。マーケティングを担当。

    トステム株式会社 社員

    1992~1993年

    中小企業育成事業部と生産経理部に配属され、前者では投資先としての有望中小企業の開拓に従事。

    海外協力隊(職種:経済)

    1994~1996年

    ボツワナ郵便公社で、マーケティング・セクションの業務としてサービス向上に従事。

    大学院修士課程

    1996~1998年

    公共政策を専攻。

    JICAジュニア専門員

    1998~2000年

    JICA鉱工業開発調査部で中小企業案件を中心に担当。

    JICA専門家

    2000~2002年

    ブルガリア経済省で初めての専門家業務に従事。派遣された時点での役割は業務調整だけだったが、自分の専門分野の担当を設定して周りにも了承してもらい、専門的な活動も行った。

    JICAジュニア専門員フェーズ2

    2003~2004年

    JICA内の様々な部の中小企業関連案件に関わる。また、同制度の前には、短期の企画調査員としてイランにも3か月間滞在。

    JICA専門家等

    2004~2014年

    これ以降、企画調査員(インドネシア)を経て、長期専門家としてセルビア・モンテネグロ、インドネシア、ベトナムに赴任。長期赴任と赴任の間には、コンサルタントや短期専門家としても業務を行った。

    大学院博士課程

    2010~2014年

    業務を行いながらインドネシアの中小企業に関する博士論文を執筆。

    JICA特別嘱託→国際協力専門員

    2014年~現在

    ベトナムからの帰国後、7か月間は特別嘱託として勤務し、その後2015年4月より専門員となる。

    「自分はこれ」という軸を 譲らず、見失わず、積み重ねる。

    国際協力に興味をもったきっかけは何ですか?

    学部生時代までは、国際協力には全く関心がありませんでした。当時はバブル期で、同期のほとんどが銀行などに就職を決める中、私は就職活動をせず、所属していた国際団体を通じて、大学卒業後に北欧へ海外研修に行きました。大学の同期たちとは違う世界に触れ、今後のキャリアに活かしたいと考えたのです。その時、デンマーク人学生たちと体制転換直後の旧チェコスロバキアを訪問する機会があり、そこで新しくなった国のために自分は何をすべきかと考えている、同年代の学生たちと出会いました。彼ら・彼女らとの出会いから、これからという国のために、自分も何か役に立てないか、と考えたことがきっかけです。

    現在の業務を、どのように選ばれましたか?これまでのキャリアの積み方、キャリア選択における軸や考え方をお聞かせください。

    実家が中小企業を経営していて、幼い頃からビジネス関係の本が身近にあり、会社の経営に興味を持ちました。大学で経営学を専攻したこともあり、国際協力でも経営学を活かせる分野という観点から何ができるかを探しました。調べているうちに行き着いたのが中小企業振興です。海外研修を終えてからどこで働くかも、中小企業支援の訓練になるところという観点から選択しました。メーカーだけれども中小企業育成を行っていた会社の特定部署に絞り込み、絶対にその部署で働きたかったので、まずはフルタイムで働くアルバイトという形で入りました。
    その会社の正社員にはなったものの日本の経済状況が悪くなり、中小企業育成事業部が縮小されることになってしまったので、他の組織を探し始めました。そこでたどりついたのが 海外協力隊 です。ただし、何でもいいから参加したかったわけではなく、中小企業に関連した職種の存在を知ったことから応募しました。結果的には、希望していた中小企業ダイレクトの配属先がある国に派遣されたわけではなかったので、新聞記事などから中小企業支援に関わる組織の情報を探して、現地で活動する合間に訪ねて行って話を聞いたりしていました。

    26歳で参加した協力隊は、その後の活動での考え方の基礎になったという点で、非常に大きな意味を持っています。相手のニーズを聞き出し把握し、その当事者がどうしたら動きたいと思ってくれるのか。予算も計画も「ゼロから生み出す」必要がありました。日本から来たとはいっても、自分に何が出来るかなんて現地の人には分かりません。ですので、カウンターパートたちとの意見のやり取りを通した準備(私はこれをキャッチボールと呼んでいます)を始めました。始まりのボールをこちらから投げたところ、それなりにうまくいったのです。その後、専門家として何度か赴任した時には、同じ形で始めるようにしました。まずはこちらからボールを投げて、自分の考えていることを知ってもらうようにする。最初は完璧なボールでなくても構いません。キャッチボールを繰り返すうちに完成度が高まっていきます。そんなスタイルを発見したのが協力隊でした。とにかく、やりたいと思ったことは提案してみる、そして周りの人たちと一緒に考えて作っていくことです。

    それともう一つ、協力隊での経験はキャリア形成という点でもターニングポイントでした。
    それまでは、大学院では学部時代に続き経営学を専攻し、当時流行のMBAを取ろうと考えていました。しかし、現地の中小企業支援の組織などから話を聞いた経験から、大学院の専攻は公共政策を選びました。政策によるサポートも重要だと実感したからです。政策を見る眼を養い、中小企業を内(経営)と外(政策)の両面から見ることができるようになりたいと思うようになったのです。
    大学院後の仕事として ジュニア専門員 に応募したのは、自分としてはそろそろ本格的に国際協力に関わろうと思っていて、(当時は)国内だけでなく在外への赴任がプログラムに含まれていたので、直接途上国の中小企業に関わることができると考えたからです。

    その後、どの国のどの案件に関わるかは、 中小企業に関われるか否かを唯一の判断基準として選択してきました。 ジュニア専門員になったのは30歳の時です。その当時は、40歳になった時に「中小企業分野で困ったことがあったら舟橋に頼んでみよう」と思われるような存在になりたいという目標を立ててやってきました。分野にこだわる分、地域や国には一切こだわらないというスタンスだったので、結果的に赴任した地域もバラバラです。しかし、「企業を見る目」はレベル感こそ違いますが、どこの国でも共通だと思います。自分なりの視点やフレームワーク、つまり「どの国であろうが、関連した情報を入れて考えれば、大きな取りこぼしなく全体を見ることができると自分が信じられる枠組み」を作ることを意識してきました。また、在外に行きっぱなしではなく、在外と在外の間に国内での業務を挟み、やってきたことの振り返りと、経験の他への応用も意識していました。

    あとは、資格よりも博士号を取りたいと考えていたことから、40代になってから博士課程に進みました。様々な関係者に会ってきた中で、中小企業診断士という立場で関わる人はたくさんいましたが、理論も途上国の現場での実践も両方備わっている人はめったにいないとの印象がありました。アカデミアと現場をつなぐ存在になりたいと考えたことが理由です。専門家との二足のわらじは大変でしたが、業務を行いながら、時に単位取得のため集中する期間も数か月間設定するなどして取り組みました。

    現在の業務について、具体的にどのようなことを担当されていますか?

    JICAによる中小企業・産業振興案件の形成や実施中案件の管理に際して、専門的な見地から意見することが中心です。産業開発・公共政策部の案件が中心ですが、他の課題担当部や地域担当部、さらには海外協力隊事務局など、他部署の案件にも関わることがあります。また、国内外で実施される各種研修の講師としての業務も多いです。最近はJICAが開発大学院連携を推進していることもあり、大学で学期を通して授業を行うこともあります。

    仕事では、地域・国も部署も異なる様々なアクターと関わります。大切にしていることは、どのような立場にある人たちの話もきちんと聞くこと。重要な情報は、公式でない場で中堅以下の人たちから出てくることが多いですので、専門家としての活動では「おしゃべり」しながら相手のニーズを引き出すことが重要です。カウンターパートを訪問する時は、赴任して初回はアポイントを取りますが、2回目以降は取りません。突撃です。これには、民間企業時代の投資先探しの営業経験が活きています!

    現在の業務でのやりがいや仕事の魅力は何でしょうか?

    自分の仕事を通して直接的・間接的に関わった中小企業のビジネスが伸び、経営者のみならず、そこで働いている人のハッピーな顔を見るのが一番うれしいです。ある程度の政府の支援が必要とはいえ、人は自分で生活の糧を得ていかなければなりません。中小企業をサポートすることは、このことにダイレクトに貢献できると考えていますし、関わることができるのはやりがいがあります。また、自分は今の仕事をしていて本当に楽しいのです。途上国には悲惨な状況もあり、楽しいというと怒られるかもしれません。しかし、暗い顔をして取り組んでもポジティブな結果は出にくいです。 自分が楽しんで前向きに取り組まないと、周りもやろうなんて思ってくれません。

    今後の目標やキャリアプランをお聞かせください。

    私は現場が好きなので、現場での仕事は体力が続く限り続けたいと考えています。ただし、同じ分野の国際協力に長年携わっているので、悪い意味で慣れが出てきてしまっているという危機感も持っています。さらに高いレベルで貢献していけるように、専門的な面で自分に負荷をかけ続けることを意識するようにしています。また、年寄りがいつまでも同じところにいるのは老害も出てくるので、自分がそうなっていないかは自分でチェックしなければなりませんね。
    専門的な能力を高めるという意味では、今の年齢ではもう長いスパンでは考えません。日々、能力を高めることに役立つ活動の継続に注力するのみです。50歳代になってからは、自分が専門家として何ができるかだけでなく、中小企業や産業振興に関わりたい内外の若い人材を、JICA外で育てることにも関わりたいという思いも強くなりました。長い目で考えて、大学での教育にも関わりたいと考えていたから博士号を取ったこともあり、今後はもっと大学との関与も増やしていきたいと考えています。

    国際協力の道を目指す方に向けてのメッセージをお願いします。

    自分自身のこれまでを振り返ると、世の中の流れに翻弄されることも多かったというのが正直なところです。民間企業時代は日本の経済状況悪化から配属部署が変わり、予定よりも早く会社を離れました。中小企業に関する専門家の仕事がすぐになく、何か月間も空いた時がありました。国際協力専門員も30代で2度不合格となっています。ただ、良かったかなと思えるのは、 一つのこだわりは持ち続け、それは譲らなかったという点です。 経営学ではStuck in the middle状態になるな、と言います。波がきた時に、「自分はこれ」というものを変えてしまうと、自分を見失います。自分自身で見失ってしまうならば、他者には尚更その人の強みは分かりません。そのようなこだわりを、少しずつでも積み重ねることが大切です。単に年数を経過させるのではなく、積み重ねるという意識を持つということです。目の前のことにきちんと取り組んでいれば、ちゃんと見ていてくれる人はいるものです。「こうなりたい」という姿を描き、そこに向かって行けば、必ずいつか繋がると思います。

    中には、何にこだわりを持っていいのか分からない方がいるかもしれません。そのような方には、 自分が最も興味を持っていることを自分のキャリアの背骨にすることをお勧めします。 結局のところ、専門家としての活動は、各人の能力が高いか低いかで差が生まれるのではなく、自分は誰よりもこの分野のことを考えていると思えるか否かで差が出てくる、と私自身は考えているからです。興味がある分野でないと、ずっと考え続けるなんてできません。また、人の能力というのは、ある程度の負荷をかけなければ伸びないので、時には他者から与えられる以上の負荷を自分で設定して取り組むことが必要です。好きなことならば、多少辛くても、その先にあるまだ見えない新しい発見のために、やってやろうと思えるのではないでしょうか。

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