第68号 PARTNERコラム「援助に依存する私」を認めるということ
先日ご縁があってJVC(日本国際ボランティアセンター)の創業ボランティアの方のお一人と対談させて頂いたとき、自分を鋭く刺したのが「援助する側がそれに依存しているのではないか」という自戒を込めた問題提起でした。カンボジアに住んで12年が過ぎ、「意味」は感じても、なかなか「成果」が見えない日々を過ごす中で、「途上国に居続けるだけ」であたかも何か成し遂げた気になってしまうことがあります。また、カンボジアの村や政府の人を含め沢山の方々が話を聞いてくれるときに、先輩たちが作り上げた「日本のNGO」というブランドや、自分の背後にある「お金」の存在などを忘れて、自分が大層な人物になったように勘違いすることもあります。
そんな情けない自分に気づいて動けなくなったときに、大事にしている言葉がもう一つあります。「結局カンボジア人の人からしたら、生活が良くなるんだったら何でもいいんだよ」という現地の先輩の言葉。その先輩もたまたまJVCの方でした。確か当時は「自分はなんだかんだ言って良いホテルや住居に住んで、どれくらい本気で国際協力ができているのか」という“駐在員あるある”の葛藤に対して、いただいたこの言葉で楽になったのを覚えています。今でも、自分はなんて情けない奴なんだと悩んで動けなくなるくらいなら、少しでも価値のある事業を作っていきたいと思います。
一方で自分の中に確かに存在するエゴを「なかったようにする」のも健全とは言えません。自分はもっと活躍できるはずだ、感謝されるはずだ、生まれてきた意味があるはずだ、そういった自分の中にある恐れや囚われとゆっくり付き合っていくことも長く仕事を続ける上では大切なことです。援助をしたとき、受益者からだけでなく、組織の中や、時には支援者の方からの「見返り」をどうしても求めてしまう自分。その気持ちを認めて手放していく。それこそが、援助に依存をしない自分を育んでいくための長い旅路そのものなのではないかと思います。
国際協力をする中で、活躍するために、ファンドレイジング、マーケティング、ファシリテーションなどの名前が付いているスキルを学ぶことも大事です。しかしそれ以上に「なんとかする力」「助けを求める力」「学ぶ力」といった名前が付けづらいスキルを育むことがさらに大事です。そして何よりも大切なことは、自分が「国際協力」に求めてしまったヒロイズムや「見返り」の裏にあるエゴイズム、それを頑なにしている自分の中の囚われや恐れを一つずつ認めて手放していくことで、「本来ありたい自分でいる」ということ。それができて初めて「援助に依存するのではなく、その人たちと共にいること」が実現するのではないかと思います。
国際協力の道で長くも素敵な旅を送ろうとしている皆さんにエールを送ります。自分が抱く気持ちを認め、共に少しずつ頑張りましょう。
NPO法人SALASUSU
創業者 / CEO
青木 健太
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