「母語」が持つ意味

私がいま住んでいるシェアハウスには、2歳の男の子がいます。ぐんぐん成長中で、どんどん言葉を覚えていきます。つい最近まで単語だけだったのですが、文章になり、会話になり…。言語を習得していく過程に毎日感動しています。

言語と言えば、2月21日は「国際母語デー」だそうです。1952年のこの日、当時パキスタンの一部だったバングラデシュのダッカで、母語であるベンガル語を公用語として認めるように求めるデモ隊に警官隊が発砲し、犠牲者が出ました。この出来事にちなみ、言語と文化の多様性、多言語の使用、そしてあらゆる母語の尊重の推進を目的として、ユネスコによって1999年に制定されました。

「母語で話す」。このことは、どれくらいの重要性を持つのでしょうか? グローバル化する世界では、皆が共通の言葉を話した方が便利なのではないでしょうか。

2月24日に開催される「国際キャリアフォーラムin東京」の登壇者、藤川純子さんのインタビュー記事を読みました(毎日新聞地方版2020年2月2日付)。長年、小学校教諭として外国人児童教育に関わってきた藤川さん。そのスタートとなる中学校臨時講師時代に、放課後に日本語を指導する「国際学級」を受け持つことになります。すると、ある女子生徒から「Bom dia(ポルトガル語で『おはよう』の意味)」と書かれた手紙を受け取ります。その生徒は、それまで自分が日系ブラジル人であるということを明かせなかったそうです。藤川さんは29歳の時、外国籍の生徒のことをもっと理解したいと思い、日系社会青年ボランティア(現在の日系社会海外協力隊)に参加し、ブラジル・サンパウロ州で日本語教師として活動します。帰国後は日本語教室を受け持ち、国際理解教育も精力的に行います。現在は大学院で外国人児童教育の研究をしている藤川さん。「日本語力をつけるとともに、母語やアイデンティティーを大切にすることが必要だと知った」と話しています。

私が小学生の時、クラスに中国籍の仲間がいました。4年生の時に転入してきた彼は、日本語は一切話せませんでした。私たちも中国語がわかりません。とにかく日本語で話しかけ、彼もどんどん日本語を覚えていきました。それでも、必要以上のことは話さず言葉少なで、無口な子なのだと思っていました。ある日から、放課後に中国人の先生が日本語を教えてくれることになりました。その時に見た彼が話す姿は、とても生き生きしていました。悩みや疑問、きょうあったうれしかったこと。きっと思う存分、自分の言葉で話し、自分のことを表現できたのだと思います。そのクラスが始まってから、彼は冗談や雑談も積極的に話すようになりました。

自分の生まれ育った国以外で暮らすためには、その国の言葉を覚え話す必要があります。それでも何かを考えるとき、やはり自分が使ってきた言葉がベースになります。何かを表現したいとき、その国の言葉では見つからないこともあります。そんな時、「母語」を自由に使うことができるありがたさが身にしみます。それと同時に、言語はコミュニケーション手段というだけではなく、文化や歴史、そしてアイデンティティーだと感じます。外国でふと聞いた日本語の響き、東京で思わず出合った故郷の方言…。そんな時は普段以上に言葉があふれてきて、その人のことを近く感じます。

先日、冒頭の2歳の男の子がおもちゃで遊んでいたので「それ何?」と聞いたところ、「ひこうき、やよ!」と返ってきました。

「~やよ(~やお)」。私の故郷・岐阜で語尾に使われる方言です。知らず知らずのうちに「母語」で話しかけていたらしい私。そして、それを受け入れてもらえたようです。

お気に入りのおもちゃ。ぞうさんと、ひこうきやよ!
お気に入りのおもちゃ。ぞうさんと、ひこうきやよ!

※藤川純子さんも登壇される「国際キャリアフォーラム in 東京」お申し込みはこちら!
http://partner.jica.go.jp/Individual/CareerConsult/Outline

JICA国際協力人材部
人材養成課
C.S

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