きっかけは「出会い」と「自分ができること」
ー手島さんがパレスチナ支援に込める想いとは?

日々ニュースで目にする紛争地の様子。でも自分の暮らしとは遠い話のようにも思えます。
今回は、パレスチナ支援を続ける 認定NPO法人 『パレスチナ子どものキャンペーン』 で活動する手島さんにインタビュー。
なぜ彼はこの道を選び、いま何を思いながらお仕事と向き合っているのでしょうか?
様々な経歴を持つ手島さんが、紛争地域の支援にたどり着いたきっかけ
――手島さんが国際協力に興味を持ったきっかけを教えていただけますか?

手島さん:
大学時代に国際的な動きに触れるなかで、国際問題や紛争に興味を持つようになりました。
当時、1991年から2001年にかけて「ユーゴスラビア紛争」や「ルワンダ危機」といった深刻な人道危機が起きていました。
また、国連(国際連合)でも、当時のブトロス・ブトロス=ガーリ事務総長が国際社会の平和構築を目指す提言「平和への課題(Agenda for Peace)」を打ち出し、次期コフィ・アナン事務総長は、企業を巻き込んだ地球全体で課題に取り組む枠組み「UN Global Compact」を打ち出すなど、大きな改革の動きが進んでいました。
こうしたなかで「国際問題についてもっと学びたい」と強く思ったことが、国際協力に興味を持った最初のきっかけでした。

――なるほど。現在のキャリアに至るまでには、どのような転機があったのでしょうか?

手島さん:
漠然と「将来は国連や国際機関で働きたい」と考えていましたが、国際機関で働くためには実務経験が必要ということもあり、大学院卒業後はアメリカの法律事務所で働き、その後は人事コンサルティング会社に勤めていました。
国際協力とは直接関係のない仕事をしていましたが、10年経ったころ「このままでいいのだろうか」と悩むようになりました。
そんな時、広島平和構築人材育成センター(HPC)が主催する「平和構築人材育成プログラム」の第2期生として参加したことが、キャリアの転機となりました。
――そこから、国際機関でのお仕事へキャリアチェンジしたのですか?

手島さん:
はい、プログラムを通じて、UNHCRのコソボ事務所に派遣され、その後はUNRWAのレバノン事務所にも行きました。
ただ、国際機関の仕事は短期契約が多く、勤務地も変わる「フリーランス型」なんです。
働くうちに「ひとつの地域に腰を据えたい」と思うようになりました。

UNHCR勤務時代、プレゼンテーションをする様子
――パレスチナに特化した支援へ進んだ理由は、どんなものだったのでしょうか?

手島さん:
当時、ちょうどパレスチナ難民支援に関わっていたので、パレスチナ自治区内で支援を続けたいと思っていました。
でも、日本にはそういう団体が少なかったんです。
そんなとき、レバノン滞在中、偶然今の「パレスチナ子どものキャンペーン」の事務局長と会える機会がありました。
話すうちに「ここなら自分の経験が活かせるかもしれない」と思い、現職に至ります。

UNRWA勤務時代、ベタウイキャンプを訪れた様子
支援の現場、そしていま——ガザ情勢と日本からできること
――「パレスチナ子どものキャンペーン」では、もう10年近く活動されているそうですね。現在の仕事内容について教えてください。

手島さん:
今はエルサレム事務所代表として、事務所の管理や会計、法務対応、職員管理、加えて支援プロジェクトの立案や運営、モニタリングを担当しています。
特に現在は、ガザ地区への緊急支援が最も重要なタスクになっています。

――手島さん自身が現地に行くこともあるのでしょうか?

手島さん:
ガザ地区には、2023年10月に戦闘が始まって以降は入れていませんが、今も周辺地域には定期的に足を運んでいます。
現地への支援物資の搬入は、エジプトやヨルダンといった周辺国から行います。
前回は食料パッケージやペットボトルの水や毛布などをエジプトから、別の食料品をヨルダンから搬入しました。
また、外部監査への立ち会いや、現地政府への報告書を提出するための準備ややり取りなどといった、現地支援の管理業務も重要です。
そのため、定期的に現場に行くことは不可欠なんです。
ちなみに、私たちの事務所は東エルサレムとガザにあり、東エルサレムには国際スタッフ、ガザには現地スタッフが常駐しています。

燃料や物資、水不足…。
封鎖により様々な問題を抱えているガザ地区
パレスチナ問題とは?
1948年のイスラエル建国に伴い、多数のパレスチナ人が難民となった歴史を持つ。
ガザ地区や西岸地区では封鎖や衝突が繰り返され、特にガザ地区では度重なる戦闘により生活基盤が破壊されている。
――遠隔での対応も続いていると思います。現地との連携にはどのような工夫があるのでしょうか?

手島さん:
安全と治安状況の確認と、事業の活動状況についてなどの業務連絡を兼ね、コミュニケーションアプリWhatsApp(ワッツアップ)でのやり取りと、週に2回ほどZoomミーティングを行っています。
ただ、現地スタッフも避難しながら活動しているため、連絡が難しいタイミングも多いのが実情ですね。
特に難しかったのは、2023年10月に戦争が始まった直後です。
現地で一番コミュニケーションをとっている、ハリールというスタッフがいるのですが、安全管理のスペシャリストとして特別な訓練を受けている彼から「今回の事態は1週間や2週間で終わるようなものではない、重大な状況だ」と分析結果が届きました。
その後、「避難しなければならない」と連絡があったあと、1週間近く連絡が取れなくなったことがあって。
本当に無事なのか、避難できるのか…。不安でいっぱいでしたね。
無事を知らせる連絡を受け取ったときには、本当に、心から安心しました。

ハリールさんとの通話の様子
――本当に、想像を絶するような緊迫した状況なのですね…。そうしたなかで、特に印象に残っているエピソードはありますか?

手島さん:
大きく2つあります。
1つ目は、現在の戦闘が始まる前に、ガザ地区に住む現地スタッフを東エルサレムにある「アル=アクサー・モスク」(イスラム教の三大聖地の一つ)に連れて行くことができたことです。
軍事封鎖されているガザに住んでいる人たちにとって、ガザの外に出ること自体が非常に困難です。
そのうえ、信仰する宗教の聖地を訪れるとなれば、家族や地域の人々が家を飾り付けて祝うほどの特別な出来事なんです。
そんな一生に一度あるかどうかの体験を喜んでくれるスタッフの姿が、本当に印象的でした。
2つ目は、リハビリ支援に関わった子どもたちの回復です。

リハビリ施設を視察した様子
2014年のガザ紛争後、爆撃などによって多くの子どもたちが身体的・精神的な傷を負いました。
そんな子どもたちに、身体機能の回復だけでなく、心理士と連携した心のケアを含めた包括的なリハビリ支援を行ってきました。
戦争で身体機能を損なった子どもたちが、再び学校に通えるようになったり、人と話すのが楽しくなったり、少しずつ前向きに社会と関われるようになっていく姿は、今でも強く心に残っています。

児童館での子どもの支援を撮影した様子
キャリアの軸は「偶然」と「出会い」。そして現地との“親戚のような”つながり
――手島さんご自身の今後についても気になります。人生100年時代とも言われますが、今後のキャリアやライフプランについて、どのように考えていらっしゃいますか?

手島さん:
私は「5年後にこうありたい」とか明確にプランを立てるタイプではないんです。
どちらかというと「必要とされている場所で、自分にできることをやる」。その感覚でずっとやってきたし、これからもそうだと思います。
いわゆる「この道を目指してキャリアを描いてきた」というよりは、偶然と出会いの積み重ね。
だからこそ、「これは自分の担当じゃない」と線を引かず、与えられた役割をできる限り果たす。
知らないうちに自分で制限をかけてしまうのは、もったいないことだと思っています。
何年経っても「まだそれをやってるの?」と言われるくらい、しつこく同じテーマに関わり続けたい。
パレスチナに平和が訪れる日が来るまで、今の活動を続けていきたいです。

――「人生をかけた支援」のようにも聞こえますが、私生活や趣味の時間は持てているのでしょうか?

手島さん:
正直、今は緊急対応が続いているので、どうしても業務時間外や週末にも連絡が入ることがあります。
たとえば現地の会議が向こうの夕方だと、日本時間で深夜の開催になることも。
ただ、週末はできるだけ家族との時間を取るようにしています。妻の実家の家庭菜園を手伝ったりもしています。
趣味というと、音楽でしょうか。
ここまでにお伝えしたパレスチナの現状と少しイメージが変わると思うのですが、パレスチナにはアートやカルチャーを発信する場所もあるんです。
たとえばベツレヘムには、有志でつくられた大きなアートセンターがあって、現地のアーティストのライブや、子ども向けのワークショップイベントなんかも開催されています。

休日、DJを楽しむ手島さん
私もそこにレコードを持ち込んでDJをしたり、イベントを楽しんだりしていましたね。
DJは、声がかかれば東京でもたまにプレイしますし、実はパレスチナのオンラインラジオステーションでも月に一度番組をやらせてもらっていて。
世界中の音楽を流したりしているんですよ。
音楽という趣味を通じて、現地の人たちとのつながりもまた深まっていると感じます。
何かを感じたら「自分ごと化」の第一歩。大切なのは、接点を増やし、違和感を流さないこと
――ここまでのお話を受けて、国際協力に興味を持つ読者へ向けた、「自分ごと」にしていくためのヒントをいただけますか?

手島さん:
まずは少しでも気になったら、関連する情報にどんどん触れてほしいというのが1つあります。
SNSにだって、さまざまな情報があふれています。
なかにはフェイクもあるかもしれませんが、それでも何かを目にして「いてもたってもいられない」と感じ、行動した人を私はたくさん知っています。

「自分ごと化」って、他人に言われたり振ってきたりするものじゃなくて、自分の中から生まれてくるようなものだと思うので、無理に意識する必要はないと思います。
ニュースを見て「ひどいな」と思った、悲しいと感じた、なにかできることはないかと考えたときは、その気持ちをそのまま流さないで、まずは何かに触れてみてください。
まずはSNSで情報を集めてみる、パレスチナ刺繍の応援グッズを買ってみる…。
そんな小さなことでも、立派な一歩です。
私たちも報告会を開いたり、アースデーやグローバルフェスタなどに出店したりしています。
まずは「ちょっと気になるな」と思ったタイミングに気軽に参加するなど、たくさん活用してもらえたら嬉しいです。

ハンカチや小物入れなど
「パレスチナ刺繍タトリーズ」 で購入可能
編集者より
今回は「パレスチナ子どものキャンペーン」の手島さんに、現在のキャリアを選んだきっかけから現在の業務、今後の目標までたくさんのことを伺いました。
本文に書ききれなかったお話のなかで、キャリアは、「目標に向かってまっすぐ進む人」と「偶然の出会いを重ねてキャリアが形成されていく人」の2つに分かれるという話題になり、手島さんご自身は後者だと語ってくれました。
「これがやりたい」と最初から決めていなくても、誰かと関わるなかで道は拓ける。
そして、国際協力は特別なものではなく、SNSでの情報収集やイベント参加など、すぐにでも始められる。
一歩一歩の積み重ねが自分らしい国際協力のカタチにつながっていくのだと思いました。