コラム 地球規模で生きる人

小沼 大地(こぬま・だいち)さん(NPO法人クロスフィールズ)

教師になりたかった僕が、なぜNPOを立ち上げることになったのか?

「誰かの人生に影響を与えるような生き方をしたい」と願い、教師になることを目指していた少年。その目はいつしか世界を見つめるようになり、やがて国際協力に関心を寄せていきます。仲間たちと共に立ち上げた研修プログラム「留職」は、大手企業や海外企業も注目する一大プロジェクトに成長。しかし、そこまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。
挑戦をくりかえしながら、自分だけの道を切り拓いてきた小沼さん。その波乱万丈の物語を全3回のシリーズでお届けします!

小沼さんの仕事ってどんなこと?

日本企業ではたらく若手社員を、新興国や発展途上国に派遣する「留職」プログラムなどを運営しているよ。

「留職」って、どういうもの?

簡単にいえば、海外協力隊のビジネス版みたいなものだよ。日本の一般企業で働く若手社員を約3カ月~1年間、新興国や発展途上国に派遣するプログラム。現地のNGOや社会的企業と一緒に、課題解決に取り組んでもらうんだ。

たとえば、大手家電メーカーで技術者として活躍する社員をカンボジアの電気のない村に派遣し、ソーラーパネルの普及事業に力を貸してもらったりする。また、大手出版社の編集者をインドネシアの社会的企業へ派遣し、ストリートチルドレンの教材開発に取り組んでもらったこともあるよ。日本企業で培った技術やスキルが、国際協力の場で活かされる。言葉も文化もちがう人たちと協力し、課題を解決するというタフな経験を通して、強いリーダーシップを養うこともできる。途上国にも、日本企業にも、双方にメリットのあるプログラムなんだよ。

「留職」プログラムについて説明する小沼さん。

学生時代の夢は、教師になることだった。

小沼さんは学生時代、どんなことを考えていて、どんな青春を歩んでいたのかな?

子どものころから海外に興味があったの?

いや、僕はいたって普通の家庭で育った野球少年だったよ。学生時代の英語力は教科書レベルだったし、海外に住んだこともない。将来の夢は、学校の先生だった。きっかけは「陽のあたる教室」というアメリカ映画を観たこと。高校の音楽教師と生徒の物語なんだけど、すごく感動したんだ。それで、「僕も誰かの人生に影響を与える生き方をしたい」って考えるようになった。加えて、僕自身が部活動で大きく成長させてもらっていたから、「中学か高校の先生になって、野球部の顧問になろう」と思っていたんだ。単純な性格だったからね(笑)。

学生時代で思い出に残っていることは?

学生時代は、成功より挫折した経験の方が大きいかな。小学生まではけっこう成績がよかった。だけど、中高一貫の男子校に入学して、最初のテストの順位は…下から2番目。しかも、最下位の人はテストの日に欠席していたらしい(笑)。それが大きなショックでね。自分は勉強ができる方だと思っていたけど、そうじゃなかった。これから何をがんばったらいいんだ…?って、すごく悩んだよ。そこで、勉強だけじゃダメだ、他にも勝負できる道を見つけなきゃ、と思ったんだ。

部活動に力を注ぐことに決め、軟式野球部に入ってがむしゃらにがんばった。レギュラーになり、キャプテンも任されることになって、はじめて勉強以外の世界で自信をつけることができたんだ。このときの経験は、経営者になった今でも僕にヒントをくれているよ。上手くいかないときは、他の方向に進んでみると道が拓けることもある。もし小学生のときのまま問題なく勉強ができていたら、今ここにいなかったかもしれないね。

自分のフィールドをあえて変えてみること。小学生のときの経験が今も支えになっている。
自分のフィールドをあえて変えてみること。小学生のときの経験が今も支えになっている。

ライバルは大学4年生のときの自分。「あのときよりもがんばっているか?」

じゃあ、学校生活は順調だったんだね。

ところが、実はボロボロだったんだ(笑)。起業家といわれて、さぞかし華麗なサクセスストーリーがあるんだろうって思われることも多いけど、僕の青春はコンプレックスに悩まされた、カッコ悪いものだったよ。部活の後輩に、野球が上手くて、性格もよくて、誰からも好かれるスゴいヤツがいたんだ。僕はキャプテンをやりながら、心の中で「本当にキャプテンにふさわしいのは彼だ」って思っていた。しんどかったね。「一刻も早く引退して、彼にキャプテンを譲りたい」と思いながら部活動を続けていたんだから。一番キツかったのは、市の野球大会に選抜されなかったことかな。「お前はダメなキャプテンだ」と言われたような気がしたんだ。「この人には勝てない」と思うと、勝負せずに自分の中に逃げてしまうことが学生時代の僕の弱点。それは自分自身としても嫌だったから、克服しなければダメだと思ったよ。

その弱点を、どうやって乗り越えたの?

大学ではラクロス部に入って、U-21の世界選抜に選ばれるくらい努力した。でも、その後の国際親善試合でレギュラーに落ちてから、ズルズルと調子を下げて…そのうち他のメンバーがすごく上手くなっていて、学内でもレギュラー落ちしちゃったんだ。そこで、例の弱点から「もういいや」という気持ちが出てきた。そこでハッとしたんだ。このままでは、中高時代のくりかえしになってしまうと。それから、カッコつけるのはやめよう!と心に決め、泥臭いプレーもいとわずに無我夢中でラクロスに食らいついた。大学生活最後の1年間は、やっと自分自身のがんばりに納得できた年だった。今でも、経営者として心を打ち砕かれそうになる場面はたくさんある。でも「あのときよりもがんばっているか?」って自分に問いかけると、心を奮い立たせることができるんだ。それくらい、僕にとっては大切な経験になったよ。

大学時代、ラクロスに打ち込む様子。
大学時代、ラクロスに打ち込む様子。
世界に目を向けるようになったのは、いつから?

大学時代にバックパックをはじめてからかな。社会科教師になるつもりだった僕は、一度自分の目で世界を見なければと思ったんだ。はじめて行ったタイとカンボジアでは、人と人とのつながりの豊かさに、とても驚いた。貧しい村なのに、みんなすごく幸せそう。大好きな家族や友だちとずっと一緒にいて、笑いあって、楽しく過ごしている。僕のような旅行者もあたたかく迎え入れて、優しく対応してもらえるから、かえって現実味がなかった。だから、「この地域に入りこみ、この人たちとケンカができるくらい、がっつり一緒に過ごしてみたい!」って思ったんだ。そこで、海外協力隊に行くことを決心したよ。協力隊でのエピソードは、次回くわしく話すね。

学校の先生にならずに、NPOを立ち上げることになったのはどうして?

学生時代の僕は、世界がとても狭かったんだ。だから、「誰かの人生に影響を与える生き方=教師」だと思っていた。でも、海外に行ったことが見直すきっかけになったんだ。「ぜんぜん知らない場所に行き、言葉や文化の違う人たちとぶつかったり、喜びを分かち合ったりすることほど、人生に影響を受ける経験はない」と。そして、協力隊に行ったことで、その想いはさらに強くなった。実際、僕の人生はその後、大きく変わることになったからね。「留職」というビジネスを立ち上げたのも、人生を変えるような経験をいろいろな人に届けたかったから。方向転換はしたけど、昔からの夢を実現することはできたんだ。

次回は、海外協力隊でのエピソードを紹介するよ!
次回は、海外協力隊でのエピソードを紹介するよ!

プロフィール

小沼 大地(こぬま・だいち)さん(NPO法人クロスフィールズ)

1982年生まれ。一橋大学社会学部・同大学院社会学研究科修了。大学院在籍中に海外協力隊として中東シリアへ赴任。マイクロファイナンス事業や教育環境プロジェクトに携わる。大学院卒業後はマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社し、ビジネスの基礎を学ぶ。3年間のコンサルタント経験を経て、2011年にNPO法人「クロスフィールズ」を創業。企業のリーダー育成と、途上国の社会問題解決を同時に実現できる「留職」をはじめ、さまざまなプログラムを展開している。