第125号 PARTNERコラム
アフリカに導かれた道~教師から医師へのキャリアチェンジ~(前編)
「こんな世界があるんだなあ~。」
ぼーっと眺めた電車の吊り革広告に心惹かれ、将来は必ずJICA海外協力隊に参加しようと決意したのは中学生の頃でした。
当時、学校と家の往復をする日々に少しの息苦しさを感じていた私は、まだ見ぬ世界で「自分が誰かの役に立てるかもしれない」、そんな新しい可能性に希望を感じ、ワクワクしたことを覚えています。
その夢を実現させたのは、それから10年後でした。当時、国際高校で理科教員として働く中で、教員としての強みを得るため、そして自らの経験を日本や途上国の生徒に還元したいという思いから協力隊への参加を決めました。
…とお堅く語ったものの、その根底にあったのは「ワクワクする!」「新しいことに挑戦してみたい!」というモチベーションでした。
この「JICA海外協力隊への挑戦」が、私のキャリアの最初のターニングポイントになったことは間違いありません。
こうして、協力隊として「理科の面白さを伝えたい!」「教育ひいては国を良くしたい!」という大きな夢と希望を抱いて赴任したマラウイのセカンダリースクール(日本の中学3年生〜高校3年生相当の生徒が学ぶ学校)。
しかし、現実は私の想像とは大きく異なり、思い描いていた理想はあっけなく崩れ去っていきました。
お葬式や職員会議で簡単に潰れる授業、授業料未納により退学させられる生徒、いつまでも先生が出勤してこない職員室。日本では想像していなかったことが毎日のように起こりました。
また、時間を守る習慣があまりないマラウイでは、時間割通りに授業が行われる日は皆無に等しいほどでした。
「誰のため、何のための学校?」という思いから、同僚に異論を唱えることもしばしばありました。
しかし、これが何十年も続いてきたこの国の文化であるため、それを受け入れた上でできることをすべきなのではないか、そんな国際協力と国際理解という、似て非なるものの狭間で葛藤する日々でした。
授業が潰れる日々は、「今日も何もできなかったな…」「自分は何のためにここに居るのかな…」と、無力さを感じる日々でもありました。
そんな気持ちを抱えて、「夕食の食材でも買いに行こうかな」とマーケットに向かう道中で見かける日常の光景が、私のキャリアの2度目のターニングポイントになろうとは、思ってもいませんでした。
続きは後編にて。
群馬大学 医学部医学科
富田 明澄
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