出産後もキャリアは続けられる?
子連れで4か国へ赴任したJICA職員に聞いてみた!
「結婚や出産後も国際協力のキャリアは続けられる?」「ブランクが不安」と、一歩を踏み出せずにいませんか?
今回は、JICA入構から4か国で「子連れ海外赴任」を経験した萩原律子さんと、長女である萩原茉耶さんにお話を伺いました。
JICAの業務にとどまらず、名著の翻訳やボランティア活動など、多様な形で国際協力に関わり続けてきた律子さん。
母である律子さんが国際協力にどう向き合ってきたのか、そして娘の茉耶さんがその中で何を感じてきたのか。親と子、それぞれの視点から、ともに歩んできた国際協力のかたちに迫ります。
Vol.1では、律子さん目線のストーリーをお届けします!
「参加型の森林保全がしたい」から始まる JICAでのキャリア、そして翻訳活動
――JICAを志した原点は、どこにあったのでしょうか?
律子さん:
実は、最初から今のキャリアを思い描いていたわけではないんです。
当時は「参加型の森林保全」に興味を持っており、自然環境保全領域の仕事をやりたいと思ってJICAに入構しました。
入構当初は林業の部署に配属され、次に開発途上国へボランティアを派遣する「青年海外協力隊(現・JICA海外協力隊)」の事務局へと異動しました。

1997年3月当時、林業水産開発協力部に所属する律子さん
――その頃、名著『参加型開発と国際協力』(原題:Whose Reality Counts?)の翻訳に関わることになりますね。
律子さん:
当時、JICAのプロジェクトに関わる方々と「参加型とはどういうことか」と勉強会などで議論する中で、自然と翻訳の話が立ち上がりました。
当時は、先進国側がプロジェクトを決めるやり方が主流でしたが、この本は「先進国側は一歩下がって、村の人がプロジェクトを作る」という、開発のあり方を変えるような内容で、強く惹かれましたね。

――JICAの業務外でも、NGOの評議員、防災ボランティアなど、さまざまな形で活動を続けられていますよね。そのエネルギーは、どこから生まれているのでしょうか?
律子さん:
JICAでは定期的に異動があり、部署が変わると担当する国や分野も変わります。
NGO「シャプラニール」に参加しているのは、担当が変わったとしても、それまで一番長く関わってきた地域である南アジアとの関わりを持ち続けたかったからです。
それに、ボランティアとして団体からの情報を「受け取る側」になると、「いつも何気なく送っている文面も、受け取ってみると分かりにくいな」と実感できます。
受け手の立場を知ることで、視野が広がるんです。
――他にもさまざまな雑誌や報告書に寄稿されてきたと聞きました。
律子さん:
インターナショナルスクールに通う帰国子女の子どもを育てた経験について、雑誌やコラムに寄稿していました。
私自身がそういうコーナーをよく読むタイプだったので、自分も発信側になれたら楽しいなという思いもありました。
書くことも好きですし、自分の経験が誰かの参考になるなら、書きたいですね。

律子さんが寄稿した雑誌の一部
育休中でも「関わり続けたい」——ネパールと日本をつないだ10年
――育休中のネパールで、日本の授乳服メーカーと現地の縫製工場をつなぐ取り組みを始めたのも、日常の気づきからだったそうですね。
律子さん:
育休中にネパールにいた時、ゆったりした手織りの服を作っている友人がいました。
一方で私は「モーハウス」というブランドの授乳服を着ていて、「この洋服を、ここでも作れるのではないか?」と思いついたのがきっかけです。

2011年、ネパールの自宅にて
現地で友人の作った服を着る律子さん
社長さんにメールを書いたことからご縁がつながり、知り合いの会社で授乳服を作る10年以上続く取り組みになりました。
育休中であっても、日常のちょっとした気づきや自分の経験を活かして、何か仕事に近いことをやりたかったのだと思います。
「ノロウイルス騒動」を経て、子連れ赴任を決意。途上国の子育て、実は両立しやすい面も!?
――子育てと仕事の両立について伺います。長女の茉耶さんを産んでから、かなり早い段階で復帰されたそうですね。
律子さん:
1人目の時は、4か月ほどで復帰しました。
夫がちょうど仕事の切り替え時期だったこともあり、子育てを主に担ってくれたため、私は比較的早い段階で仕事に復帰することができました。
夫も国際協力関係の仕事をしており、出張などへの理解はありましたが、お互いに「任せられる時は任せる」という気持ちを持つことは、家族間でとても重要だと感じています。
――その後、西アフリカへ出張にも行かれたとか。
律子さん:
子どもが1歳半くらいの時でした。
出張自体は無事に終わったのですが、帰国したら子どもが保育園でもらってきたノロウイルスに夫もかかっていて、そこから私にも移ってしまい…本当に大変でした。
その経験から、「無理をして一人で頻繁に海外出張に行くよりも、家族みんなで一緒に海外赴任してしまった方がお互いに楽かもしれない」と、発想を切り替えました。

2012年育休中、ウズベキスタン、タシケント
ナボイ劇場での家族写真
途上国での生活はハードルが高いイメージがあるかもしれませんが、子育てとの両立という面では、融通が利いて助かる部分も多かったと感じています。
通勤時間がほとんどなく職場と家が近いですし、家事や保育はシッターさんやお手伝いさんにお願いしやすい環境もありました。
育休中には、下の子をシッターさんに預けて、上の子の幼稚園へ折り紙を教えに行けたのも、とても穏やかで良い思い出です。
――その後、バングラデシュやパキスタンへと子連れ赴任されたのですね。茉耶さんは治安やインフラの不便さなど、どんなことが記憶に残っていますか?

2013年、バングラデシュで住んでいたアパートの屋上
茉耶さん:
パキスタンは、しょっちゅう停電していたのを覚えています。
うちには発電機がなかったので、ロウソクの灯りで暗闇の中を数時間過ごすこともありました。
律子さん:
携帯電話のフル充電が必須でしたね。
他にも大変だったのは、コロナ禍でのホテル隔離です。
ある年は1か月近く家族でホテルにいたこともありました。

茉耶さん:
ファミリールームに家族全員で缶詰めだったから、本当に行くところもやることもなかったんです。
律子さん:
そんな生活を記録に残そうと思って、隔離部屋の中で親子でミュージカル映画の替え歌動画を作ったりもしました。
夫に見せたら、喜んでくれましたね。

コロナ禍ホテル隔離の様子
母親としての当事者意識。「安全管理」への強い思い
――安全管理のお仕事が、律子さんのキャリアの中で最も長いのですよね。なぜそこまでこだわったのでしょうか?

律子さん:
2013年から「子連れ」でバングラデシュへ赴任したのですが、だんだんとテロの脅威などが出始め、親として率直に怖いと感じました。
子どもが通うスクールバスの経路で事件が起きたこともありましたが、その時に大使館の担当の方がすぐに安全管理の説明会を開いてくれて、本当に安心したのです。
現場において「安全管理」が人に安心をもたらし、命を守るものなのだと実感しました。
現場の怖さを知ったからこそ、「私は安全管理の担当になりたい」という強い思いで次の希望を出しました。
――当時、他機関でも途上国への家族随伴赴任は珍しいことだったとか。
律子さん:
そうですね。当時は、パキスタンへの赴任に家族を帯同するケース自体がまだ珍しく、他の国際機関でもルールについて検討が進められている段階でした。
そうした中で、ある国際機関から安全管理について説明してほしいと依頼を受ける機会があり、私は「子どもをインターナショナルスクールに通わせながら生活していて、安全管理はこのように行っています」と、実体験を交えながらお話ししたんです。

バングラデシュの生活の様子
茉耶さんの学校の課題一週間分の食事を撮影
母親としての視点や、子どもの通学を含む安全管理の実際をお伝えしたことで、「こうした形なら家族帯同も可能なのですね」と安心していただけたようでした。
結果的に、「子どもを帯同しながら現場で働く自分」の存在が、ルールや認識の変化を後押しする一例となったのであれば、とても意義深く印象に残る経験だったと思います。
次世代へつなぐエール
――最後に、国際協力に関わりたいと思っている方へメッセージをお願いします。
律子さん:
国際協力には、本当に色々な関わり方があります。
最初から道筋を描けなくても、きっかけや好奇心さえあれば、NGOやボランティア、企業など、どんな形からでも長く続けることができます。
また、将来のライフイベントに不安を感じることもあると思います。でも、心配はいりません。
子育ては、人間の成長という「開発」のあらゆる局面に当事者として寄り添っていくのと同じです。
それだけで開発の基礎知識が十分身につくと思っています。
「キャリアか子育てか」と、どちらかを選ぶ必要はないんじゃないかな、と思います。

出張の長さも、「今回は3日間行けたから、次は5日間」と、ご自身のペースや子どもの成長に合わせて少しずつ背伸びをしていけば大丈夫。
パートナーやご家族とよく話し合って、ご自身が無理なく融通の利くペースで、ぜひその力を活かしてほしいなと思います。
編集者より
取材を通して印象的だったのは、どんな時も国際協力に関わり続けようとする律子さんの行動力でした。JICAでの仕事、翻訳、NGO、育休中の授乳服プロジェクト、そして子育てまで、律子さんの歩みはすべて「現場への当事者意識」でつながっていました。
日々の気づきや好奇心、そしてライフイベントの経験が結果としてキャリアを充実させていく。律子さんの等身大のストーリーは、「国際協力の入り口は広く、あなたにもできる」という力強いエールそのものです。
Vol.2では、そんな母の背中を見て育った娘の茉耶さんが、どのように自らの道を選び取ったのかを伺います。