コラム地球規模で生きる人

原畑 実央(はらはた・みお)さん(ソーシャルマッチ株式会社代表)

第2回「“つなぐ”ことで価値を生み、日本と世界の架け橋に。」

ソーシャルマッチ株式会社は、日本と東南アジアの社会起業家をつなぎ、社会問題の解決を目指す企業です。代表の原畑 実央(ハラハタ・ミオ)さんは、学生時代のバックパック旅行で東南アジアの魅力に惹かれ、会社員を経てカンボジアへ移住。現地の企業で働きながら、貧困や教育問題など、さまざまな社会課題を目の当りにしました。そうした問題を解決するため、起業を決意。人と人、人と企業をつなげながら世界を飛び回っています。連載2回目は、就職活動のことや起業するまでの気持ちの変化、会社員時代に学んだ大切なことなどを伺いました。

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日本と世界の架け橋になりたい

高校時代まで「やりたいことがなかった」という原畑さん。大学入学をきっかけに世界へと視野を広げ、就職活動には、「海外と関わること」「誰かの役に立てること」という2つの軸を持って挑みました。どんな会社に入社したのかな?

大学卒業後は、どんな会社に入ったの?

新卒で入ったのは、中国に拠点があるIT企業の日本法人。ここに入社したいと思ったのは、日本企業の製品を海外のバイヤーに販売するプラットフォームを運営していたから。品質の高い日本の製品は、世界でも評価が高い。東南アジアに行ったときも、日本製のバイクや電化製品をすごく大事に使ってくれている場面をたくさん見た。壊れても、直して大事に使い続けてくれていた。そういう経験があったから、日本の素晴らしい製品を、もっと世界中に広められたらいいな、と思ったんだ。

もう一つ、興味を惹かれたのは、会社説明会での社長の言葉だった。「今は海外製の安い製品が入ってきているので、日本製品のマーケットがどんどん小さくなっている。特に地方では、高い技術があるのに苦戦している企業が多い。でも海外に販路をつくることができれば、そういう企業も元気になれるし、地方に人を呼び戻すこともできる」と言っていたんだ。私も地方出身なので、その言葉にすごく感激し、「地方の企業や地域活性化に貢献できたらうれしい」と思った。入社後は希望通り、日本企業の海外への販路拡大のサポートに携わった。仕事はとてもやりがいがあって、多くのことを学ばせてもらった。でも1年を過ぎたあたりから、転職を考え始めるようになったんだ。

なぜ転職を考えたの?

自分自身が海外に行って、そこに身を置いて働きたい、という気持ちが強くなってきたから。あるとき、東南アジアの企業に就職した先輩に会ったんだけど、すごく楽しそうだったんだ。東南アジアは成長期で、マーケットもどんどん拡大している。その中で、先輩は裁量権の大きい仕事を任されて、生き生きと働いていた。私は、学生時代にバックパックで訪れてから、ずっと東南アジアに憧れていた。人と人とのつながりの強さやマーケットの熱気に圧倒されて、「ここには日本にないものがある。この中に入りこんで、いろいろ学びたい」と思ってた。だから先輩の話を聞いて、「東南アジアに行きたい!」という気持ちが燃え上がってしまったんだ。今の会社はやりがいのある仕事ができて、満足していたけれど、「安定よりも、自分の成長を取ろう」と決めた。まだまだ新人だったので申し訳なかったけれど、会社を辞めて、東南アジアで新しい道を探すことにしたんだ。

カンボジアにある日系の人材紹介会社へ!

転職先は、どんな会社だったの?

インドやカンボジア、それにアフリカ地域で転職先を探していた。そしてカンボジアにある、日系の人材紹介会社に出会ったんだ。社長は日本人で、自分のビジネスでカンボジアの就職事情を変えたいと考えている人だった。実は、カンボジアはコネクションによる就職が一般的で、どんなに優秀な人でも、コネがなければ収入の低い仕事にしか就けないケースがたくさんある。そういう状況に疑問を持った社長は、「カンボジアで、スキルや能力に見合った仕事を紹介できる仕組みをつくりたい」と思って起業を決めたという。その想いに共感して、「一緒に働きたい」と思って入社を決めたんだ。

それで、カンボジアに移住したんだね。

うん。カンボジアに進出している日本企業に、カンボジアの人材を紹介したり、カンボジアで働きたい日本人に、現地の企業を紹介したりする仕事を任された。ここで、今の仕事につながるたくさんの学びを得ることができたんだよ。あとは、はじめて海外に移住したことで、カンボジアという国が抱えるたくさんの問題も目の当たりにすることになった。

カンボジアの社会起業家さんと商談する様子

カンボジアの社会起業家さんと商談する様子

カンボジアの現実を知る

カンボジアってどんな国なの?

東南アジア独特のパワーにあふれた国だ。活気にあふれていて、世界中の熱量が集まっているような感じがする。身一つで食べ物を抱え、マーケットで売っている人がいたり、家族や仲間と路上で仲良くごはんを食べていたり。「人間本来の強さを持っている人たちだな」と思って、初めて来たときからワクワクしたよ。先進国は、インフラがしっかり整備されているけれど、もし水道や電気が急に止まったら、みんなすごく混乱するよね。でも、この国の人たちは、万が一そういう事態になったとしても、きっといつも通り生きていく。そういう力強さを感じるんだ。

でも一方で、貧困によるたくさんの問題も抱えている国だ。私がよく目にしたのは、幼い子どもや障がいのある方が路上で物乞いをしていたり、ゴミをあさって食べ物を探していたりする姿だった。学校に行っていない子どもも多いし、先ほど言ったような就職事情にも問題がある。それに、環境問題も深刻だ。プラスチックごみをそのまま川に流していたり、川岸で燃やしたりすることで、魚が取れなくなってしまった村もあるという。

カンボジアに住んで仕事をするようになって、いろいろな問題を目の当りにしたんだね。

うん。でも一方で、そうした問題を解決しようと動いている社会起業家さんもたくさんいるんだ。実は大学卒業後も、学生時代に立ち上げた団体での活動はずっと続けていてね。カンボジアに移住してからも、カンボジアの社会問題について考えるイベントやワークショップを開催したり、カンボジアの社会起業家の活動を見に行くツアーを企画したりしていたんだ。これらの活動が、今の会社の前身になっているんだよ。

カンボジアで教育支援をする起業家バンドン氏(写真右奥)との写真

カンボジアで教育支援をする起業家バンドン氏(写真右奥)との写真

ついに起業!人と人、人と企業をつなげることで、自分の価値を出す

起業しようと思ったきっかけは?

先述の社会問題を考える活動を続けてきたことで、いろいろなマッチングが生まれるようになってきたんだ。前回の記事で紹介したサミスさんに、「うちの大学でも講演をしてほしい」というお話がきたり、一緒にイベントをした環境活動家のパディさんに、「パディさんの下でスタディツアーを開きたい」という依頼がきたり。私の活動から、新たなつながりが生まれていくのを見て、「私が価値を出せるのは、人や企業をつなぐ“マッチング”なのかもしれない」と考えるようになったんだ。そして、大きな企業のプロジェクトをサポートする仕事が入ってきたタイミングで、「これを仕事にしていこう!」と覚悟を決めて、法人化したんだ。

カンボジアで障がい者支援NGOを展開するサミス氏と企業様とのマッチングの様子

カンボジアで障がい者支援NGOを展開するサミス氏と企業様とのマッチングの様子

カンボジアの人材紹介会社には、3年間お世話になった。社長とはすごく距離が近かったので、経営者としての働き方・考え方を間近で見せてもらうことができて、すごく勉強になったよ。あとは、国や文化が違う人と一緒に働くときのポイントもここで学ばせてもらった。カンボジア人と日本人は、当たり前だけど価値観が違うから、どうしても意見が合わないことは出てくる。そういうとき、昔は自分の考えを押し付けてしまっていたんだ。それでうまくいかないことも多かったので、すごく反省して、見方を変えることにした。考え方の違いが表面化したときは、「なぜ相手がそういう考え方になったのか」「こういう背景があるから、こういう意見になるんだ」ということをしっかり理解して、まずは受け入れる。それから、動いていくことが必要だと分かった。これは、今の仕事でも大事にしていることだよ。

はじめての就職、カンボジアの企業への転職、社会起業家との出会いなど、さまざまな経験を経て、ついに起業を果たした原畑さん。連載最終回では、原畑さんが目指していることや、ルーキーズ世代に伝えたいことをお届けします。お楽しみに。

※本記事の取材は、2023年11月にオンラインにて実施しています。

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<プロフィール>

原畑 実央(はらはた・みお)さん(ソーシャルマッチ株式会社代表)

1992年、愛媛県松山市生まれ。 松山大学在学中に社会問題についてディスカッションする団体を立ち上げ、社会問題を解決しようとする人の講演会や、活動の現場を訪れるツアーを開催する。 新卒ではアリババジャパンに入社し、日本企業の海外販路開拓支援に携わる。その後カンボジア移住し、ソーシャルマッチ株式会社を立ち上げる。