コラム 地球規模で生きる人

小畠 瑞代(こばたけ・みずよ)さん(認定NPO法人かものはしプロジェクト ソーシャルコミュニケーション担当ディレクター兼日本事業担当)

「ベトナムで背負った“知った人の責任”。世界で起きていることを伝えたい。」

児童買春や人身売買の問題を解決するため、2002年に活動を始めた認定NPO法人「かものはしプロジェクト」。小畠瑞代さんが参画を決めたのは10年前、33歳の時でした。大学卒業後は一般企業に就職しましたが、国際協力への想いを捨てきれず、かものはしプロジェクトへの転職を決意。現在は広報活動や寄付会員とのコミュニケーションを担当しています。学生時代に経験したある出来事をきっかけに、世界の社会問題や国際協力に関心を持つようになったという小畠さん。連載第2回では、小畠さんが、かものはしプロジェクトと出会うまでのストーリーを紹介。NGOのインターン経験や、就職氷河期の就職活動、転職を決心した理由について教えてもらいました。

第1回目の記事はこちらから

世界で起きている社会問題に向き合っていきたい。

内閣府の青年国際交流事業、“世界青年の船”に参加し、人生を変えるすてきな出会いをした小畠さん。帰国してから、変化はあった?

“世界青年の船”で、私はやっと自分の本当の気持ちに気づくことができた。それは、「世界で起きている社会問題に向き合いたい」ということ。それまでは、人種差別で傷ついた心に振り回されてばかりだったけれど、バーレーンの友人Nahed(ナヘッド)のひと言で、霧が晴れるように自分の進みたい道が見えた。「将来はNGOに入って国際協力の仕事しよう」と。それで大学3年生のとき、京都のNGOのインターンに参加することを決めたんだ。

そこでは、どんな活動をしたの?

インターンの私が任されたのは、ベトナムの郊外に暮らす少数民族の教育支援と職業訓練のサポート。電気もガスも通っていないベトナムの山奥の農村に、1カ月滞在することになったんだ。といっても、私はもともとアウトドア生活が平気なタイプで、電気のない生活も、シャワーが浴びられないことも、辛いとは思わなかったよ。それよりも私を苦しめたのは、目を背けることができない、貧困と格差の実情だった。

どんなことがあったの?

例えば、日本では具合が悪くなれば当たり前のように病院に行くよね。でも、私がいたところは病院がなく、お医者さんもいなかったから、村の人たちは病院に行く習慣がなかった。あるとき、村に住む若い女性から、「妊娠していて子どもが生まれるの」と言われたので、私は軽い気持ちで「出産予定日はいつ?」と聞いたの。そうしたら、彼女は戸惑って、「えっ、何を言っているの?そんなの分からないわ」って返してきた。そこで、はっと気づいたんだ。「そうか、病院に行けないから出産予定日が分からないんだ」って。そんな状況だからこの村で出産するには日本より大きな危険を伴うんだ、と思った。
また、教育環境も悲惨なものだった。少数民族の人はベトナム語を使わないことも多いのだけど、学校の先生はベトナム語で授業をするから、子どもたちは内容を理解できない。せっかく学校へ行っても、学習レベルがなかなか上がらないんだ。
こんな状況を変えなきゃと思うのに、私の力ではどうすることもできない。無力な自分に絶望して、気持ちは落ち込んでいった。

一方で、“知った人の責任”を背負ったことも自覚した。私は幸運にも、衣食住に困ることはなく、教育を受けて生きて来られた。だからこそ、目の当たりにした貧困や格差の問題に対して「この経験を活かさなければ!」と、徐々に気持ちは切り替わっていったの。「こうした現実を少しでも多くの人に伝えて、考えてもらうきっかけをつくろう」と。ベトナムに行ったことで、国際協力への想いはますます強くなったんだ。

インターンでベトナムに滞在したとき。
インターンでベトナムに滞在したとき。(右から2番目が小畠さん)

一般企業で、ビジネスのイロハを学んだ10年。

大学卒業後は、どんな進路に進んだの?

本当はすぐに国際協力のNGOで働きたかったけれど、その頃は、残念ながら新卒で入職できるNGOを見つけられなくて。だから、まずは商社に就職しようと思ったんだ。というのも、商社は世界で事業展開をしていることも多く、途上国の支援ビジネスに関われる可能性があったからね。でも、当時は就職氷河期で、頑張ったけれど商社への入社は叶わなかった。だから、「とにかく、どこかの企業でビジネスの基本を学んで、いずれ途上国の支援に活かそう!」と考えたんだ。
そして、フランチャイズ事業や出版、エンターテインメントなどを幅広く手掛ける企業から内定をもらうことができた。そこは、「3年たったらNGOに転職します!」と面接で豪語していた私を、面白がって採用してくれた懐の深い会社だったんだ(笑)。

そこでは、どんな仕事をしていたの?

フランチャイズ店舗の立ち上げやマーケティング、営業、広報など、いろいろな仕事をやらせてもらったよ。特に、人に“伝える”ことがミッションの広報の仕事は、私の性にも合っていた。3年で辞めるつもりだったのに、結局10年続けていたの(笑)。でも入社して5年目くらいから、「このままでいいのかな…?」と、モヤモヤするようになっていたんだ。気の合う同僚たちと、やりがいのある仕事をして楽しかったけど、心の底から満足できてはいなかった。本当にやりたかった“世界で起きている社会問題に向き合う”ことから離れてしまっていたからね。それがだんだん苦しくなってきた。そして、33歳にしてようやく国際協力の世界へ行くことに決めたんだ。

一般企業の広報部のとき。
一般企業の広報部のとき。

この人たちの仲間になって、共に社会問題に挑んでいきたい。

転職先として、かものはしプロジェクトを選んだのはなぜ?

国際協力のNGOに行くと決めたものの、開発分野の経験はないし、英語もほとんど話せなくなっていたし、「こんな私にできることはあるのだろうか…」と最初は途方に暮れていたんだ。そんな中で、「かものはしプロジェクト」という団体が広報のスタッフを募集していることを知ったんだ。広報は好きな仕事だったので、「ここだ!」と思って、応募したの。

かものはしプロジェクトの人たちと最初に話したときの印象はどうだった?

採用面接を受けるにあたって、かものはしプロジェクトが取り組んでいる児童買春や人身売買についてとことん調べたよ。そして、この問題を知れば知るほど「これは本当に解決できるのか…?」という不安も芽生えてきた。
でも、代表の村田さんが面接のとき、「この問題は絶対になくせると思っている」と、はっきり言ったんだ。私は「難攻不落に見えたけれど、この人は解決できると信じているんだ」とびっくりした。そのことにとても感動して、「この人たちの仲間になりたい。私の経験を、この問題の解決に活かしたい!」と思ったんだ。

かものはしプロジェクトのチームメンバーと。
かものはしプロジェクトのチームメンバーと。

実は、私が10年もの間、転職を決意できなかった理由が、もう一つあるの。それは、「どんな社会問題に取り組みたいか」を明確にできなかったことなの。例えば、かものはしプロジェクト代表の村田さんは、「世界から児童買春をなくすこと」を自分のライフミッションとして活動している。でも私は、人生をかけて取り組みたいと思える具体的な課題を見つけられなかった。そして、それが決まらないうちは、社会問題に取り組むべきではないと思い込んでいたんだ。
でも、今なら「世界や社会を良くするために何かをしたい!」という気持ちがあれば、挑戦してもいいんだと分かる。私は、自分自身の課題は分からなかったけど、かものはしプロジェクトの理念に共感して、国際協力の世界に経験やスキルを活かすことができている。そのことに、とてもやりがいを感じているよ。

これを読んでいるルーキーズ世代のみなさんの中にも、「国際協力の仕事はしたいけど、“これだ”というものが見つからない」って思う人がいるかもしれない。でも私のように、“これだ”がなくても、自分ができることで活動している人もたくさんいるということを、ぜひ知っておいてほしいな。

一般企業に10年勤め、33歳で国際協力の世界へ踏み出した小畠さん。次回は、現在の仕事のやりがいや、ルーキーズ世代への応援メッセージを聞きました。お楽しみに!

※本記事の取材は、2022年7月にオンラインにて実施しています。

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プロフィール

小畠 瑞代(こばたけ・みずよ)さん(認定NPO法人かものはしプロジェクト ソーシャルコミュニケーション担当ディレクター兼日本事業担当)

NPO法人かものはしプロジェクトの「この問題は必ず解決できる」という信念に共感し、子どもがだまされて売られてしまう問題を世の中に広く理解してもらうため、また自身の経験や知恵をソーシャルグッドに活かしたいという思いから、営利企業での広報、マーケティング、プロモーション職を経験した後、広報・ファンドレイジング(資金調達)担当として2012年7月にNPO法人かものはしプロジェクトに参画。
最近の関心は、イノベーションやフラクタルな世界が生み出されるのは対話の場だと信じて、多様な人が参加できる場作りをすること。システムコーチ。新しくて挑戦できるものが好き。

WEB https://www.kamonohashi-project.net/