コラム 地球規模で生きる人
三輪 開人(みわ・かいと)さん(NPO法人 e-Education代表)
芽生えたのは“途上国の人たちと一緒に冒険したい”という気持ち
大好きな漫画のヒーローに憧れて、「いつか世界を冒険したい」と夢見ていた野球好きの少年。高校時代は甲子園を目指し、ひたすら白球を追いかける日々。野球で頭がいっぱいだったという彼は、今NPO法人 e-Educationの代表となり、開発途上国の受験生を支援するプロジェクトに取り組んでいます。これまで途上国14カ国、3万人以上の中高生に、プロ講師による映像授業を届けてきました。
海外とは無縁の子ども時代を送っていた三輪さんは、なぜ国際協力という冒険の旅に出ることになったのでしょうか。連載2回目は、ターニングポイントになった講師のアルバイトと、バックパッカー時代の体験談です。
予備校講師のアルバイトで、受験生をサポートする面白さに目覚める。
自分の進むべき道を見つけるために、大学へ進学した三輪さん。どんな学生時代を送っていたのかな?
- 自分の将来像は、すぐに見つかった?
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法学部に進んだのはいいけれど、入学してすぐ六法全書の厚みに絶望したよ(笑)。ずっと理系でやってきた僕が、法律を仕事にしていくのは無理だと頭を抱えたね。司法試験を目指してダブルスクールに通う同級生を横目に、「これは初手で詰んだかも…」と思いながら、一学期を過ごしたことを覚えているよ。でも、その後「大学は必ずしも授業を受けて勉強するだけの場所じゃない」ということが徐々に分かってきた。それからは気持ちが切り替わって、僕が浪人時代にお世話になっていた大手予備校で、講師のアルバイトを始めた。これが、その後の人生に大きな影響を与えることになったんだ。
- 予備校のアルバイトでは、どんな経験をしたの?
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今まで教えてもらう側だった僕が、教える側になって、それまで見えていなかったものが見えてきた。たとえば、長所を伸ばして合格する子と、短所を克服することで合格する子がいる。それを見極めるには、一人一人の生徒と向き合って、その子の個性や性格をしっかり理解した上で教育方針を考えることが重要になる。「ただ合格させればいい」というのではなく、その子が社会に貢献できる人材になるために、どうすればいいかを考えて、育成していくんだ。これは、今の仕事にも繋がる、すごく大きな学びになったよ。
それに、自分が受験生だったときと同じように悩み、頑張っている高校生、浪人生をサポートできることが、ものすごく嬉しかった。春は毎年、自分の教え子が泣きながら「先生のおかげで合格できました!」という報告をしてくれるんだけど、自分が合格したときよりも感動したよ。誰かの夢や目標を「教育」という手段でサポートする仕事は、こんなにも満たされやりがいがあるのか、と思った。これは、今の仕事でも感じている気持ちだよ。
ラオスの村で、往年の海外協力隊員に救われた話。
- 大学時代はバックパッカーとして、アジアをまわっていたんだよね。思い出に残っていることはある?
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自分の進路に迷っていた僕は、将来につながるヒントが欲しかった。それで、大学3年の春休みから半年間、アジアを中心にまわる旅に出たんだ。そして、ラオスのある村に行ったときに、人生の方向を決定づける出会いがあった。――現地でお祭りをやっていたんだけど、そこでお酒の飲み比べ大会に出場して、お酒を飲みすぎたせいで記憶が無くなってしまったんだ(笑)。ラオラオという日本の焼酎みたいなお酒を一気飲みしてね。気づくと、誰かの家で寝かされていた。はっとして腰に手をやると、お金を入れていたベルトポーチがない。「ああ…盗られてしまったな」とガックリしたね。でも、ふと上を見ると、僕のお金が洗濯もののように並んでいて、きれいに干してあったんだ。ベルトポーチも一緒にね。僕が吐いて汚してしまったので、この家の人がキレイに洗って、乾かしてくれていたんだ。もちろん、お金はひとつも盗られていなかった。感激してお礼を言うと、その家の人は「俺は日本人が大好きなんだ」と言ってくれた。「僕がまだ子どもだった頃、この村に海外協力隊が来た。そのときに日本人の“ジロウ”にとてもお世話になった。だから、息子にもジロウという名前をつけたんだ」と、嬉しそうに語ってくれた。それから3~4日、僕が回復するまで、ずっと親切に看病してくれたんだ。過去の海外協力隊員が、この村で築いた信頼が、そのときの僕を救ってくれたんだ。僕は会ったことのない“ジロウ”さんへの感謝の気持ちでいっぱいになった。そのことがあってから、協力隊の仕事に興味を持つようになったんだよ。
- その後の旅ではどんなことがあったの?
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JICAの人を探して知り合って、とにかく話を聞いてまわった。そのうちに、「僕も何かできることをしたい!」と考えるようになって、タイのフリースクールで、子どもたちに算数や折り紙を教えるアルバイトをしたり、インドのマザーテレサの家で1カ月ほどボランティアをしたりした。そうやって開発途上国の人たちと交流を深めていく中で、「彼らは僕が持っていないものをたくさん持っている」ということに気づいた。そして、開発途上国のために働くのではなく、「現地の人たちと一緒に働きたい」という気持ちがどんどん強くなってきたんだ。
- 開発途上国の人たちが持っているものって、どんなこと?
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たとえば、ラオスでお世話になった人は、2桁の足し算はできなかったけれど、英語は僕よりもはるかにペラペラだった。英語が苦手な僕は、「なんで開人はこんな単語も知らないんだ?」ってからかわれたくらい(笑)。みんな、僕の知らないことを教えてくれたし、逆に僕が彼らに提供できることもあった。だから、「この人たちと一緒に働けば、お互いに切磋琢磨できる」と思ったんだ。大人になっても、彼らとずっと一緒に冒険しているイメージが鮮やかに想像できた。そこから、国際協力への挑戦という将来の道が見えたんだ。
新卒でJICAへ入構、日本の教育の素晴らしさを改めて学ぶ。
- JICAでは教育案件に関わっていたんだね。そのときの経験で、今の仕事につながっていることはある?
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JICAの国際協力の主軸は、日本のさまざまな技術を開発途上国に移転することなんだ。僕が3年目に所属した人間開発部では、日本で成功した教育モデルを、途上国の教育システムに移転することがミッションだった。だから、僕は過去の日本の教育モデルをとことん学ぶことになったんだよ。そこで、今の日本の教育は、現場の先生たちと、教科書会社の努力によって培われてきたものだということを改めて感じたんだ。たとえば、日本の数学の教育レベルは、世界でもトップクラスだということは知っているかな?これは、日々努力している学校の先生たちの指導力によるものだけど、それを支えているのは、教科書会社がつくっている教師用の指導書だ。日本の教師用の指導書は、世界的にみても相当高いレベルでつくられているんだよ。
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今e-Educationでも、教科書会社と連動して、開発途上国で日本式数学を実施して、現地の教育課題の解決を目指すプロジェクトをスタートしたよ。これも、JICAでの経験があったから実現できたこと。日本の素晴らしい教育モデルを、開発途上国の人たちにもぜひ知って欲しいし、学んで欲しいと思っているよ。
JICAで3年半の経験を積んだ後、本格的にe-Educationの活動に力を入れていくことになった三輪さん。次回は、今の仕事のやりがいや、ルーキーズ世代に伝えたいことを紹介するよ!
プロフィール
三輪 開人(みわ・かいと)さん(NPO法人 e-Education代表)
1986年生まれ。早稲田大学在学中に税所篤快氏と共にNPO、 e-Educationの前身を設立。
映像教育を用いて、バングラデシュの貧しい高校生の大学受験を支援。1年目から多くの合格者を輩出。
大学卒業後はJICA(国際協力機構)で勤務する傍ら、e-Educationの海外事業統括を担当。
2013年にJICAを退職しe-Educationの活動に専念。14年7月に同団体の代表に就任。これまでに途上国14カ国3万人の中高生に映像授業を届けてきた。
2016年、アメリカの経済誌「Forbes」が選ぶアジアを牽引する若手リーダー「Forbes 30 under 30 in Asia」選出。
2017年、第1回ICCカタパルト・グランプリ優勝。著書『100%共感プレゼン』(2020年、ダイヤモンド社)