コラム 地球規模で生きる人
下里 夢美(しもさと・ゆめみ)さん(NPO法人 アラジ 代表理事)
「“勉強がしたい”―8歳の少年のひと言が、私をシエラレオネへ導いた。」
シエラレオネ共和国は、1991年から2002年まで内戦が続き、かつては「世界で一番寿命の短い国」といわれていた国です。内戦が終わって20年経った今もその爪痕は深く残り、貧困や児童労働などの社会問題を抱えています。こうした状況を変えるために立ち上がったのが、NPO法人「アラジ」代表の下里夢美さん。25歳で支援団体を設立し、シエラレオネの支援活動を始めました。高校時代に「いつかシエラレオネのために働きたい」と決意し、現在も2人の男の子の育児に奮闘しながら挑戦を続けています。なぜシエラレオネだったのか、なぜ若くして起業を決めたのか…?多くの困難に直面しながらも、あきらめず挑戦してきた下里さんのストーリーを、全3回のシリーズでお届けします!
下里さんの仕事って、どんなこと?
西アフリカにある「シエラレオネ共和国」でさまざまな支援プログラムを行っているよ。
- シエラレオネって、どんな国?
-
アフリカ大陸の西側、大西洋に面したところにある国だよ。私が生まれた1991年から約11年間、ダイヤモンド鉱山をめぐる激しい内戦が繰り広げられていて、その間に約7万人の人が亡くなり、約400万の人が難民になったんだ。かつて「世界で一番寿命の短い国」といわれて、今でも8割の人が1日1.9ドル以下で生活しているんだよ。児童労働や10代のシングルマザーの急増など、たくさんの社会問題を抱えている国なんだ。
- 下里さんは、シエラレオネでどんなことをしているの?
-
私はNPO法人「アラジ」の代表として、シエラレオネ共和国の「子どもの支援活動」をしているんだ。子どもの教育支援が中心で、これまで約1,100名の子どもたちの学校復帰をサポートしてきたよ。シエラレオネの義務教育は6歳から中学校3年生までだけど、貧困や児童労働、若すぎる妊娠・出産などで学校を退学してしまうケースが多いの。一度辞めると、学校に戻ることはとてもむずかしく、教育を受ける機会を失ってしまうんだ。
- そうなんだね…。子どもたちを学校に戻すために、具体的にはどんなことをしているの?
-
主に4つのプログラムを中心に活動しているよ。1つ目は「小学校への定額給付支援」。首都から離れた農村地、マケレ村にある「マケレ小学校」では約360人の子どもたちが学んでいる。だけど、机、いす、トイレなどがまだ未整備なんだ。だから学校の備品代や子どもたちの給食費、先生たちのお給料にするための給付金を毎月届けているよ。
2つ目は「奨学金給付支援」。これは日本でいう児童扶養手当のようなもの。自然災害や不慮の事故、病気、失業などが原因で、金銭的困難を抱えたひとり親家庭に毎月現金を給付しているよ。
3つ目は「10代のシングルマザー復学支援」。実はシエラレオネの10代の女の子の3割が、望まない妊娠と出産のために学校を辞めている。その原因は、性教育を受ける機会がないこと、避妊具が高くて買えないこと、文化的・宗教的な理由で女性が軽視されていることにある。そのような女の子たちを学校に戻して、子育てをしながら教育を受けられるようにするための支援なんだ。
4つ目は「男子高校生への性教育プログラム」。10代の女の子の望まない妊娠をなくすためには、男の子にも正しい性教育を届けることが必要だよね。今後はケネマ県の現地NGOと協働で、男子高校生の3割に、学校での性教育プログラムが届ける予定なんだ。
シエラレオネを知ったきっかけは、テレビのドキュメンタリー番組。
- 下里さんは、どうしてシエラレオネのために働きたいと思ったの?
-
高校2年生のとき、シエラレオネの内戦で孤児になってしまった少年「アラジ君」を追ったドキュメンタリー番組を観たの。当時8歳のアラジ君は、両親を目の前で殺されるというむごい体験をしていた。内戦が終わり、友だちはみんな学校に戻れたけど、アラジ君は戻れなかった。なぜなら、弟たちを養うためにガラクタを集めてその日の生活に必要なお金を稼がなければならないから。そんな状況の中、アラジ君は「何が欲しい?」と聞かれると、「勉強したい」と言ったんだ。勉強さえすれば、今の状況を変えられると信じていて、その言葉に私はすごく衝撃を受けた。それまで世界でそんなことが起きているなんて1ミリも考えたことがなかったし、自分はとても大変な日常を送っていると思っていたから。でも、戦争がなく平和に暮らせて、両親がいて、毎日学校に行ける…この生活の方が特別だ、ということがはっきり分かったんだ。同時に、勉強がしたいというアラジ君に何もしない世界に、日本に、激しい憤りを感じた。そして、「私はいつかシエラレオネに行って働こう!」と考えるようになったんだ。
母の再婚、厳しい部活動…波乱に満ちた青春時代。
- 子どものときは、どんな生活を送っていたの?
-
私は山梨県の春日居町(かすがいちょう)で生まれ育ったよ。一人っ子で、母は私が1歳のときに離婚して、仕事に追われていたから、幼少期はずっと一人。学校や家庭で幸せを感じた記憶はあんまりない。そんな日常が変わったのは、中学2年生のとき。母が突然「再婚する!」と言い出した。母より18歳も年上で、すでに成人した娘さんが3人もいる実業家だっていう。「急にそんな知らない男の人と一緒に住むなんて、ありえない!」ってかなり反発したよ(笑)。でも母は、頼れる人ができたことで気持ちが安定したんだね。それまではケンカすることも多かったけど、再婚してからの母は穏やかで、すごく仲良くなれたな。
- 中学生のときに大きな転機があったんだね。そのあとはどうなったの?
-
高校に入ってからは、勉強や部活動に打ち込む毎日。私が入った吹奏楽部は部活動のストレスで学校を辞めてしまう子もいるくらい、とにかく厳しくて辛かった。でもシエラレオネに行くという夢が、私を支えてくれていたんだ。母は、本当は私に公務員のような安定した仕事に就いて欲しかったみたいだけど、「夢は応援する」って言ってくれて、シエラレオネ行きを反対されることはなかった。感謝しているよ。
実業家だった父から、人と交流することの楽しさを学ぶ。
- お父さんは実業家だったんだね。それは下里さんの今の仕事にも影響しているのかな?
-
父の影響はすごくあると思う(笑)。父は市場の卸売業を経営していて、けっこう大きな会社だったみたい。地元企業の社長さんや政治家さん、ゴルフ仲間や釣り仲間…父のまわりにはいつも人が集まっていた。同級生や地元の仲間を集めて、桃のビニールハウスを貸しきって、そこで宴会をしたりもしていたな。母は常に働いていて、友だちと遊んでいるところなんて見たことがなかったから、父がたくさん人を集めて楽しそうにしているところを見て、素直に「この人、すごいな」と思ったんだ。その後、私も人を集めて何かすることが好きになったし、そこでたくさんの人と出会えたことが、今の仕事につながっているよ。そのルーツは、いつも人に囲まれていた、バイタリティあふれる父の姿なのかもしれないね。
「将来はシエラレオネのために働く」という決意を固めた下里さん。高校卒業後、国際協力が学べる桜美林大学へ進学。シエラレオネへの想いは高まるものの、さまざまな困難が下里さんを待ち受けます…。次回は、紆余曲折を経て念願のシエラレオネに行くまでの道のりを紹介するよ!
プロフィール
下里 夢美(しもさと・ゆめみ)さん(NPO法人 アラジ 代表理事)
山梨県出身。世界最貧国のひとつ、西アフリカのシエラレオネ共和国にて「誰もが夢にむかって努力できる社会へ」をビジョンに活動するNPO法人アラジ代表理事。桜美林大学LA/国際協力専攻を卒業後、2014年から活動を開始し、17年にNPOを起業、法人化。19年には現地オフィス設立。最も困難な状況に陥る子どもたちへの奨学金給付支援・農村部小学校定額給付支援、10代のシングルマザー復学支援・男子中高生への性教育プログラムなどに従事する。また、インタビューやテレビなど多数のメディア出演や、小学校から大学での講演会などにおいて、シエラレオネの貧困に関する諸問題の啓発活動を行う。筑波大学非常勤講師。二児の母。