コラム 地球規模で生きる人

下里 夢美(しもさと・ゆめみ)さん(NPO法人 アラジ 代表理事)

「アルバイトをかけもちしながらの支援活動がスタート。」

シエラレオネ共和国は、1991年から2002年まで内戦が続き、かつては「世界で一番寿命の短い国」といわれていた国です。内戦が終わって20年経った今もその爪痕は深く残り、貧困や児童労働などの社会問題を抱えています。こうした状況を変えるために立ち上がったのが、NPO法人「アラジ」代表の下里夢美さん。25歳で支援団体を設立し、シエラレオネの支援活動を始めました。高校時代に「いつかシエラレオネのために働きたい」と決意し、現在も2人の男の子の育児に奮闘しながら挑戦を続けています。連載第2回では、下里さんが念願のシエラレオネに行くまでの紆余曲折のストーリーと、活動を支えてくれた人たちのことを聞きました。

企業で働く自分の姿が想像できず、フリーターをしながら支援の道を探る。

下里さんは高校卒業後、桜美林大学の「国際協力専攻」に進んだんだね。いつから起業を考えていたの?

大学では、国際協力に関するいろいろなことを勉強させてもらったけれど、シエラレオネを専門に支援する団体はなくて、JICA海外協力隊の派遣もないことを知ったの。だから、「これは自分でやるしかない」と思ったんだ。でも、何から始めたらいいのか分からないから、「まず3年くらいは企業に入って社会人経験を積んだ方がいいかも」と考えた。それで就職活動をしたけれど、どうしても「企業で働く自分の姿」が想像できなかったんだよね。1社だけ受けたソーシャルビジネスの会社も最終面接で落ちてしまったから、「もう就職はいいかな」と思った。

それに、両親の反対を押し切って一人暮らしをしていたから、生活費を稼ぐためにアルバイトもしていたの。それで「就職しなくても生きていける!」っていうおかしな自信が生まれて(笑)、大学卒業後はそのままフリーターになったんだ。アルバイトでお金を貯めて、いつかシエラレオネに行くことを夢見ていたよ。

すごい行動力だね!どんなアルバイトをしていたの?

お好み焼き屋、焼肉屋、寿司屋、ラーメン店、フレンチレストラン、和食、カフェ…いろいろと経験したよ。ほとんど立ち仕事だったから、体力はついたと思う。それにお客様の前に出る仕事だから、きちんとメイクをして、身だしなみを整えないといけないのも、私にとっては良かった。メイクやアパレルに興味がなかったから、身だしなみを整える習慣がついたのは、良かったと思う。

そして何よりもうれしかったのは、アルバイトで知り合った人たちが、今でも私の活動を応援してくれていること。最後にアルバイトをしていたラーメン店は、今も「アラジ」の募金箱をお店に置いてくれているんだ。フレンチレストランのシェフとは今でも仲良くさせていただいていて、定期的にZoomミーティングで「今度、こういう活動を一緒にやろう!」と話し合っているよ。

アルバイト時代の写真。
アルバイト時代の写真。
フリーター時代の経験とつながりが、今も下里さんの活動を支えているんだね。その後、シエラレオネにはすぐに行けたの?

それが、行けなかったんだ。大学を卒業してすぐの2014年に、やっとお金が貯まってシエラレオネ行きのチケットを手に入れたんだけれど、その直後、現地でエボラ出血熱の流行が始まったんだ。チケットも無駄になってしまって、それから2年間、渡航できない時期が続いた。せっかく準備してきたのに…とショックだったけれど、「今やれることをやるしかない!」と決意して、国内でシエラレオネの啓発活動のオフラインイベントを開催することにしたんだ。

オフラインイベントということは、自分で会場を借りて人を集めたの?

そうだよ。でも、いきなり「シエラレオネのことを知って!」と言っても人は集まらないよね。だからイベントは、私も含めた「夢を持っている若者を応援する」ことをテーマにしたんだ。「何かやりたい」「社会を良くしたい」という夢を持っている若者が登壇して、自分の夢を「夢プレゼン」という形で語ってもらうスタイル。これを3年間で約200回開催したよ。その中で私も「シエラレオネの貧困問題を解決したい」という自分の夢を語って、のべ1,000人以上の人にシエラレオネの現状について知ってもらうことができたんだ。

夢プレゼンの仲間たちとの一枚。
夢プレゼンの仲間たちとの一枚。

ついに念願のシエラレオネへ渡航。しかし、困難な道は続く…。

それから2年後の2016年、渡航制限が解除されて、やっとシエラレオネに行くことができたんだね。そのときの気持ちはどうだった?

ずっと夢見ていたシエラレオネだったけれど、はじめての渡航では、「たいへんなところに来てしまった…」というのが正直な気持ちだった。例えば、シエラレオネは日曜日に働くことが禁じられているから、お店はぜんぶ閉まってしまう。だから土曜日までに食料を調達しなければいけないんだけれど、そのことを知らなくて日曜日に食べるものがなくなってしまった。何とか知り合いのいるスラムに行ってご飯をふるまってもらったんだけれど、食事が体に合わなくて、滞在中はずっと下痢状態。発熱もして、5キロも痩せてしまったんだ。ビザの関係で現地には1ヵ月しかいられなかったから、1回目の渡航はそれで終わり。支援のために行ったのに、逆にみんなに心配されながら帰ってきたんだ(笑)。

でも、2回目、3回目と渡航するうちに、シエラレオネの状況や文化がだんだんと分かってきた。そして、4回目の渡航でオフィスを見つけて、5回目に現地で法人を作って、現地オフィスを立ち上げることができたんだ。

写真左:現地初渡航の様子。 写真右:シエラレオネのローカルフード、キャッサバリーフ。
現地初渡航の様子。 シエラレオネのローカルフード、キャッサバリーフ。
大変だったんだね!途中であきらめようと思ったことはない?

もちろん、あるよ。渡航には毎回たくさんのお金がかかるから、アルバイト代だけでは足りなくて、クレジットカードでキャッシングしたりしていた。借金が100万円まで膨らんでしまったときは、さすがに「もうやめようかな…」と思ったよ。虫歯になっても歯医者に行けないし、風邪をひいても病院に行けない。アルバイトもずっとしていたけれど、「これ以上渡航を続けたら生活が苦しい」「お金が貯まらない」って悩み始めて…。そんなときに助けてくれたのが、今の旦那さん。

彼は経営者で、「自分が1,000円使うより、誰かに寄付した方がお金の価値が高まる」という考えをもつ人だったから、いろいろなNPOや若者の活動を支援していたんだ。私のことも応援してくれていたから、「渡航したいけれどお金がない」と相談したら、「寄付するよ。いくら足りないの?」って、100万円以上のまとまったお金を振り込んでくれた。そのおかげで再びシエラレオネに行って、活動をスタートすることができたんだ。

たくさんの人が応援してくれた理由は、私が「完璧じゃない人間」だったから。

旦那さんを含めて、下里さんはたくさんの人に応援されて、支えられているよね。その理由は、どこにあると思う?

それはたぶん私が「完璧じゃない人間」だからかな?フリーターで、お金もない女の子が、たった一人でアフリカに渡航しようとして、無茶している!って(笑)。「助けてあげなきゃ!」というのが、まだ実績も、信用もないときに応援し続けてくれた人たちの気持ちだと思う。

現地オフィスができたとき、テレビ番組の密着取材がついたの。それが放送されてから、私の活動に対するまわりの見方がガラッと変化したんだ。それまで私のシエラレオネ行きに反対していた父親も、「娘は活動家だ」って、親戚中に自慢していたし(笑)、高校の同級生がテレビを見て、「ずっと活動を続けていたんだね」と言ってくれて、寄付してくれた。自分だけじゃなく、第三者に活動を認めてもらって発信してもらうことは、周りから信用を得ることにつながるんだな、と実感したできごとだったよ。

現地テレビ局に出演しているところを、日本のテレビ局が密着。
現地テレビ局に出演しているところを、日本のテレビ局が密着取材。

たくさんの人の応援を受けながら、ついにシエラレオネで現地オフィスを立ち上げた下里さん。NPO法人「アラジ」は、2022年で8年目を迎えました。
次回は、今の活動のやりがいと今後の展望をインタビュー。ルーキーズ世代へのメッセージもあるよ!

※本記事の取材は、2022年1月にオンラインにて実施しています。

プロフィール

下里 夢美(しもさと・ゆめみ)さん(NPO法人 アラジ 代表理事)

山梨県出身。世界最貧国のひとつ、西アフリカのシエラレオネ共和国にて「誰もが夢にむかって努力できる社会へ」をビジョンに活動するNPO法人アラジ代表理事。桜美林大学LA/国際協力専攻を卒業後、2014年から活動を開始し、17年にNPOを起業、法人化。19年には現地オフィス設立。最も困難な状況に陥る子どもたちへの奨学金給付支援・農村部小学校定額給付支援、10代のシングルマザー復学支援・男子中高生への性教育プログラムなどに従事する。また、インタビューやテレビなど多数のメディア出演や、小学校から大学での講演会などにおいて、シエラレオネの貧困に関する諸問題の啓発活動を行う。筑波大学非常勤講師。二児の母。