コラム 地球規模で生きる人
伊達 文香(だて・ふみか)さん(株式会社イトバナシ 代表兼デザイナー)
たくさんの“いいな”を紡いで生まれた、インド刺繍のファッションブランド。
学生時代に出会ったインド刺繍に魅せられて、ファッションブランド「itobanashi(イトバナシ)」を立ち上げた伊達文香さん。インドの伝統的な刺繍文化を守るために、24歳で起業しました。最初は手売りからのスタートでしたが、今では奈良と広島に直営店を構え、全国から「itobanashi」の服を愛するお客さんが訪れるようになっています。今もさまざまな挑戦を続けている伊達さんですが、子どもの頃は心配性で、引っ込み思案だったそう。ブランド立ち上げまでにどんなストーリーがあったのでしょうか…? 全3回のシリーズでお届けします!
伊達さんの仕事ってどんなこと?
インドの伝統的な刺繍文化を守るため、24歳の時に一人で事業をスタートした伊達さん。「itobanashi」の服のデザインは、すべて伊達さんが担当しているそうだよ。
- 「itobanashi」は、どんなブランドなの?
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インド刺繍を使ったファッションブランドだよ。スローガンは、「つくる人とつかう人の暮らしを豊かにする」。インドには、約1,000年前から続く伝統的な刺繍文化がある。カシミール地方の「アリ刺繍」、コルカタの「カンタ刺繍」、ラクノウ地方の「チカン刺繍」など、地域によって技法や図案に個性があって、とても素敵なんだ。
この素晴らしい刺繍が、今存続の危機にある。インドの刺繍職人さんに適正な賃金が支払われていないため、生活ができず、刺繍をやめてしまう人が増えているんだ。すごくもったいないことだよね。そこでitobanashiでは、高い技術を持っている刺繍職人さんに仕事をお願いして、適正な値段で買い取っているんだ。
刺繍を施した布は、インドや日本の縫製工場で仕立てて、お店やインターネットで販売しているよ。ラインアップは、ワンピースやシャツ、ストールなど。服のデザインはすべて私が担当していて、刺繍の図案は、現地の職人さんやそのリーダーたちと相談しながら決めているんだ。
服は、いろいろな楽しみ方ができるもの。
- 小さい頃の伊達さんはどんな子どもだったの?
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生まれは奈良県五條市。よくある地方の田舎町で、山に囲まれた自然がいっぱいの場所。でも、私は外で遊ぶより家の中にいるのが好きで、絵を描いたり、絵本を読んだりして過ごしていたな。
普通のサラリーマン家庭だったけど、父も母もファッションが好きで、家には服がたくさんあったんだ。小学生くらいになると、両親が私の服をスタイリングしたり、私のコーディネートにダメ出ししたり……(笑)そういう環境だったから、私にとって服はただ身に着けるだけのものではなく、いろいろな楽しみ方ができる、わくわくさせてくれる存在だったよ。
それと、小学生までの私はすごく心配性で引っ込み思案だったけど、中学校に入ると価値観の近い友達ができて気持ちが安定したんだ。中高一貫校だったから、ゆっくり時間をかけて人間関係を作ることができたのも良かったのかもしれない。大学に入ると新しいことにいろいろ挑戦するんだけど、その基盤は、安心して過ごすことができた中高生時代にできたと思っているよ。
インドとの出会いは、ちょっとした好奇心から。
- 大学では、どんなことを学んでいたの?
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大学は心理学専攻に進んだんだ。念願の一人暮らしを果たし、アルバイトをしたり、服飾関係のサークルに入ったりして、忙しく過ごしていたよ。そんな中で、ふと「もうちょっと、外の世界を見てみたいな」という気持ちが出てきた。「どうせ行くならアジアがいい。普通の旅行じゃなく、スタディツアーが面白そう」って。本当に、それくらいの軽い気持ちで、民間の旅行会社がやっているインドのスタディツアーに参加することにした。これが、私の人生を変えることになるインドとの初めての出会いになったんだ。
- 初めてのインドはどうだった?
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日本では見ないようなガリガリに痩せた犬がいたり、道端に人が寝ていたり。見るものすべてが新鮮で、衝撃的だったよ。インドのマザーテレサ施設(※)では、食事介助や掃除などのボランティアをして、この国が抱える貧困や格差の問題を目の当たりにした。これが、私が世界の社会問題に触れる最初の入り口にもなった。「もっと知りたい、考えたい」と思った私は、想いを共有できる仲間と一緒にワークキャンプを企画して、それから何度もインドに行くことになったんだ。
(※)マザーテレサが政府と協力して開設したホスピスや児童養護施設。代表的な施設はニルマル・ヒルダイ(死を待つ人の家)。
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ワークキャンプでは、女性の職業訓練を支援するNGOと知り合った。インドでは人身売買の問題が後を絶たない。被害を受けた女性の約8割は売春婦となって、身近な人から暴力を受けたり、HIV感染のリスクにおびえたりしながら生活している。そうした女性たちに、縫い物や編み物、刺繍などの職業訓練を受けてもらって、他の仕事に就けるようにサポートしている団体がいくつかあったんだ。
服が好きだった私は、女性たちが学んでいる手仕事に興味を持ち、話を聞かせてもらった。その中で、「女性たちがつくった服や小物を売る先がなかなか見つからない」という課題があることも分かった。せっかく作っても、買ってもらえなければ職業として成り立たない。この問題は、ずっと私の心に残り続けていて、後に起業のヒントになったんだ。
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もう一つ、ターニングポイントとなった出来事があるの。それは東日本大震災。そのとき私はインドにいて、テレビから流れる津波の映像にとても衝撃を受けた。帰国後はいてもたってもいられず、大学内で被災地支援のボランティアをしている団体を探し出して、支援活動に参加することにしたんだ。
被災地支援のボランティアで知った「手仕事が持つ力」。
- どんな支援活動をしていたの?
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被災地支援には、合計4回行ったよ。最初はがれきの撤去、2回目以降は仮設住宅で暮らす人たちのサポートに入ったんだ。仮設住宅には手芸の好きな人がたくさんいたから、私たちが材料やミシンなどを持って行き、集会所でティッシュカバーやコースターなどの小物を作るイベントをやったんだ。
その頃の私は縫い物が下手だったの(笑) だから集会所に集まったおばちゃんたちに、作り方を教えてもらったんだ。その時、手を動かして作りながら、津波が来る前の生活のことや、故郷の思い出を話してくれた。それがすごくうれしかった。「ああ、手を動かしながらの会話って、心を柔らかくしてくれるんだな」って思ったよ。
「すべてを失ってしまったけれど、手が覚えている技術はなくならない。だから、こうやって教えてあげることができる」っていうその時の言葉は、今でも私の心に刻まれている。手で覚えたことはいつまでも残っていく。手仕事の持つ力のすごさを知ることができた、大切な時間だったな。
インドや被災地で学んだこと×大好きな服=?
- 大学時代は、本当にいろいろな経験をしたんだね!
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そうだね。年次が進んで将来のことを考えはじめたときに、自分が好きなことや経験してきたことを組み合わせて何かできないかな、と考えるようになった。そこでふと、「インドでファッションショーを開催する」というアイデアを思いついたんだ。というのも、学園祭のときに服飾サークルで企画したファッションショーがすごく楽しくて、自己肯定感を高めるツールとしても優れているなと感じたからね。そして、インドでNGOの人から聞いた「女性たちが作ったアイテムの売り先がない」という課題も思い出した。「ファッションショーをやれば、インドの女性たちが作った服を宣伝することもできる!」と。
これを思いついたときに、「インドや被災地で学んだことや、私の好きなものが、すべてつながった!」と思ったの。ファッションショー、ぜひやりたい!……でも、いざやるとなると、お金もないし、時間もない。臨床心理士になるために大学院に進んだけれど、その勉強や実習もある。どうしたら……と頭を抱えていたときに、文部科学省がやっていた「トビタテ!留学JAPAN」の文字が飛び込んできたんだ。
大学に入って、たくさんの経験をした伊達さん。自分が好きなことや、心を動かされた経験から、インドでファッションショーをするというアイデアを思いつきます。次回は、「トビタテ!留学JAPAN」への挑戦から、itobanashi設立までのストーリーを紹介します!
プロフィール
伊達 文香(だて・ふみか)さん(株式会社イトバナシ 代表兼デザイナー)
奈良県五條市出身、31歳。広島大学に進学後、インドに複数回渡り、女性の人身売買被害などの現状を知る。大学院進学後にトビタテ!留学JAPAN2期生として、インド現地NGOとファッションショーを共催し、女性の活躍の場創造を目指す。その際に出会った刺繍に惚れ込み、途上国の刺繍を扱うブランド、itobanashiを起業。ビジコン優勝等を経て法人化後、株式会社イトバナシとして奈良、広島で月に3日オープンする「ししゅうと暮らしのお店」を運営する。2022年からはカカオ豆から作るチョコレート専門店chocobanashiも始動、文化学園大学特別講師も務める。とにかくやってみるがモットー。