コラム 地球規模で生きる人
白川 優子(しらかわ・ゆうこ)さん(国境なき医師団(MSF)手術室看護師)
「7歳の小さな心に刻まれた“国境なき医師団”の名前。」
海外で命の危機に直面している人々のもとに駆け付け、その命を救うために奮闘する人たちを追ったドキュメンタリー番組。テレビにかじりついて見ていたという7歳の少女の心に、“国境なき医師団”という名前がしっかりと刻み込まれました。それから約30年後、看護師として成長を遂げた彼女は、憧れだった国境なき医師団の一員に。シリア、イエメン、アフガニスタンなどの紛争地を中心に、11年間で18回の海外派遣活動に参加しました。語学の壁を乗り越えながら努力を重ね、夢への階段を一歩ずつ上っていった看護師・白川優子さんのストーリーを、全3回のシリーズでお届けします!
白川さんの仕事ってどんなこと?
白川さんは、人道危機に直面する人々へ無償で医療を提供する「国境なき医師団」という国際的な医療・人道援助団体のスタッフだ。看護師として11年間にわたって、シリアやイエメン、アフガニスタンなど紛争地での医療活動に携わってきたんだよ。
- 「国境なき医師団」は、どんな活動をしているの?
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国境なき医師団(Médecins Sans Frontières:以下、MSF)は、紛争や自然災害、貧困などにより、緊急的に医療が必要な場所で医療援助活動を行う、国際的な医療団体だよ。「独立・中立・公平」が原則で、人種や政治、宗教にかかわらず、命の危機に直面している人たちに、無償で医療を届けているんだ。
MSFには50年以上の歴史があって、世界約70の国と地域で援助活動をしているんだ。スタッフは、医師や看護師や心理士などの医療従事者だけでなく、物資や機材の調達や、人やお金を管理する非医療従事者もいる。加えて、現地でもスタッフを雇用してチームを組み、一丸となって活動するんだよ。
患者を待つだけでなく、病院のない土地にクリニックをつくったり、医療が届かない地域に出向いて治療をする活動も行ったりしているんだ。また、活動の中で目の当たりにしてきた非人道的な状況を国際社会に向けて発信する「証言活動」も、MSFの大切な使命の一つなんだ。
- 白川さんは、MSFでどんな仕事をしてきたの?
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私は看護師として、シリアやイエメン、アフガニスタンなどの紛争地で活動してきたんだ。海外に派遣されて活動していた期間は、2010年から11年間。10カ国、18カ所のプロジェクトに参加したよ。今は、現場での経験を活かして、MSFの日本事務局で人事や採用の仕事をしているんだ。詳しくは連載の後半でお話しするね。
MSFの看護師の主な役割は、看護チームのマネジメント、薬局・医療機器の管理、衛生管理、病院感染管理、公衆衛生活動など多岐に渡るんだ。また、プロジェクト内での他部門との連携や、関連組織との交渉などをすることもあるから、幅広い活躍が求められるよ。
最初のきっかけは、7歳のときに見たドキュメンタリー番組。
- 白川さんは、いつ、どうやって“国境なき医師団”の存在を知ったの?
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7歳のとき、テレビで国境なき医師団のドキュメンタリー番組をやっていたんだ。まだ小さかったから、内容ははっきり覚えていないんだけど、すごく衝撃を受けて、テレビにかじりついて見ていたの。そして、最後のテロップに「国境なき医師団」っていう文字が表れたことだけは鮮明に覚えてる。そのころは、本が大好きで、とくに戦争に関する物語をよく読んでいたから、心に響いたんだね。
- 本が好きな子どもだったんだね。
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うん、本は好きだったな。近所の図書館や学校の図書室によく通っていたよ。いろいろ読んだけど、印象に残っているのは、やっぱり戦争もの。戦争が日常だった時代の人たちの暮らしや悲しみ、人間愛を描いたような物語をたくさん覚えてる。マンガ『はだしのゲン』も図書館で借りて読んだよ。
読み終わるたびに、戦争の悲惨さに怒りを感じ、平和を願わずにはいられなかった。あのころは自分が紛争地に行くことになるとは夢にも思っていなかったけど、MSFに入ってからは、子どものときの気持ちを思い出して、「あのころとつながったな」って感じたよ。人生は面白いね。
あと、外で遊ぶのも大好きだった。学校から帰ってくると、ランドセルを放り投げて遊びに行くの。ドッジボールや鬼ごっこに夢中で、ソフトボールがとくに好きだった。町内に大人のソフトボールチームがあってね。公園に行けば、近所のおじさんが相手をしてくれたから、キャッチボールやノックをしたりして。そんな環境だったから、体育の授業も大好き。自分でいうのもなんだけど、運動神経には自信があったんだ(笑)。中学では強豪のソフトボール部に入ったから、土日も夏休みもなく、ボールを追いかける毎日だった。MSFには過酷な現場もあるけど、「子どものときに体力をつけておいて良かった!」と思ったよ。
「制服がかわいいから」と選んだ商業高校で、天職になる仕事を見つける。
- その後、白川さんは商業高校に進学したんだよね。どうやって進路を選んだの?
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当時の私の周辺では、「女の子は高校を出たら就職する」もので、大学に進学する子はほとんどいなかった。今では考えられないかもしれないけれど、そういう時代だったし、特に私の地元は田舎だったから、「高校で手に職を付けて、安定した会社に入る」のが、ふつうの女の子のロールモデル。私もとくに疑問をもたず、「そういうもんかな」と思って、「制服かわいいなー」と思っていた地元の商業高校に進んだんだ。
中学では部活が忙しくてほとんど遊べなかったから「高校は楽しむぞ!!」と意気込んでいたね。アルバイトを3つもかけもちしたり、学校帰りに友だちとおいしいものを食べたりして、毎日自由に過ごしていた。そのころはバンドブームだったから、ベースやキーボードもやってたなあ(笑)。高校生活は存分に満喫したよ。
でもね、高校2年生の後半くらいから、クラスの雰囲気がちょっとずつ変わってきたの。3年になると、校内に企業のパンフレットが山のように積まれるようになってきて。教室では、「就職どこにする?」「説明会行った?」「面接の内容教えて!」って会話が飛び交っている。私は「あれあれ?」って。
- 卒業が見えてきて、まわりが進路を意識し始めたんだね。
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うん、そうなんだ。そして夏を過ぎたあたりから、女の子は事務職としての採用面接を受けて、どんどん内定を決めていくんだ。毎朝ホームルームで、担任の先生が「今日の内定者」を発表するの。そうすると、みんなで「おめでとう!」って、ワーっと拍手するんだよね。
でもね、私はそういう雰囲気にぜんぜんついていけなかった。「え? 私も事務の仕事に就くのかな」って考えたら心がざわつく。「なんか違う」って。とはいえ、「じゃあ、進路どうするの?」って聞かれても、なんと答えていいか分からない。どんな仕事もピンこなくて、焦ってた。
そんなとき。クラスメイトのある女の子が、「私、看護師になりたいから、看護学校に進学するつもりなんだ」って私に話してくれたの。そのときに、初めて心が反応したんだ。「それだ、看護師だ!私もなりたい!」って。
たぶん本当は、心のどこかで分かってたんだと思う。でも「看護師」というキーワードに出会わなかったから、気づけなかった。その子が言ってくれたおかげで、自分がやりたかったことに気付けたんだ。
- なんで看護師だったの?
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それが、自分でも不思議なんだけど、はっきりとした理由はないんだ。私自身、ほとんど病院にお世話になったことはないし、家族が入院していたということもない。なんで看護師をやりたいと思ったのか、今でもあまり説明はつかない。だけど、実際に看護学校に入って、看護師の仕事を目の当たりにしたときに、「ああ、なんて素晴らしい仕事だろう。これが天職だ!」と思えた。心の声は間違ってなかったんだ、って。
進路を看護学校に決めてからは、迷いはなかった。ただ、まったく受験勉強をしていないから、もちろん前途多難だよ。そもそも、商業高校から看護学校への進学は厳しい。看護師になりたいといった友人は、それを分かっていたから、専門の塾に通い始めていたし・・・。
さらに、「看護学校に行きます」って担任の先生に報告したら、怒られたの。これはすごくよく覚えてる(笑)。女子は就職するのが当たり前だったし、しかも3年生の後半になって急に言いだしたからね。そういうことで、先生のサポートは望めないし、今の私のレベルで入れる看護学校も見つからない。でも浪人は困る。どうしよう…と、頭を抱えていた私に、うれしい情報が舞い込んできた。
近くに、定時制の看護学校が開校されたっていうんだ。通常、看護学校は3年制なんだけど、そこは4年制。指定の病院で半日働きながら学べば、正看護師の資格が取れる。レベル的にも問題なかったから、「ここしかない!」って飛びついたよ。これが、看護師への第一歩だった。
心の声に導かれ、「看護師」という夢を見つけた白川さん。ここから「国境なき医師団」にたどりつくまでには、まだ紆余曲折がありました。――次回は、看護学校の思い出や英語との奮闘、海外留学を経てMSFへの挑戦を決めるまでのストーリーを紹介します! お楽しみに。
プロフィール
白川 優子(しらかわ・ゆうこ)さん(国境なき医師団(MSF)手術室看護師)
7歳の時にテレビで観た「国境なき医師団」に感銘を受ける。高校卒業後、4年制(当時)の坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校に入学。卒業後は埼玉県内の病院で外科、手術室、産婦人科を中心に約7年間看護師として勤務。2003年にオーストラリアに渡り、2006年にオーストラリアン・カソリック大学看護学部を卒業。その後約4年間、メルボルンの医療機関で外科や手術室を中心に看護師として勤務。2010年、「国境なき医師団」に参加。2018年7月、著書『紛争地の看護師』(小学館刊)、2022年4月に『紛争地のポートレート』(集英社刊)を上梓。2020年10月より朝日新聞デジタルにて、『国境なき衣食住』を連載中。2018年10月より「国境なき医師団」日本のフィールド人事部にて海外派遣スタッフの採用業務に従事。1973年生まれ。埼玉県出身。