コラム 地球規模で生きる人

白川 優子(しらかわ・ゆうこ)さん(国境なき医師団(MSF)手術室看護師)

「世界には“報道されない戦争”がある。」

海外で命の危機に直面している人々のもとに駆け付け、その命を救うために奮闘する人たちを追ったドキュメンタリー番組。テレビにかじりついて見ていたという7歳の少女の心に、“国境なき医師団”という名前がしっかりと刻み込まれました。それから約30年後、看護師として成長を遂げた彼女は、憧れだった国境なき医師団の一員に。シリア、イエメン、アフガニスタンなどの紛争地を中心に、11年間で18回の海外派遣活動に参加しました。連載最終回は、MSFの活動を通して感じたこと、現在の白川さんの仕事、ルーキーズ世代に伝えたいことなどを聞きました。

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政治上や民族間は対立していても、そこで生きる市民は手を取り合っている。

語学の壁を乗り越えるためにオーストラリアへ留学し、看護師として働きながら、念願の「国境なき医師団(MSF)」へたどりついた白川さん。現地で感じたことについて、話を聞いてみたよ。

MSFで、印象に残っている活動は?

MSFに入ったのは2010年。初回はスリランカに行って、それから11年間で18のプロジェクトに参加してきた。どこも忘れられない現場ばかりだったけど、イエメンは特に知ってもらいたい国の一つだよ。イエメンは、私がMSFに入って3度目に派遣された国で、初めての「ガチ」の紛争地だった。その前に行ったスリランカとパキスタンは、情勢は不安定だったものの、紛争状態というわけではなかった。だから、銃で撃たれた人や、空爆によって大けがを負った人たちを治療するのは、イエメンが初めてだったんだ。

内戦が続き、一般市民や子どもたちも犠牲になっているイエメンは、「世界最悪の人道危機が起きている」といわれている。私の目の前にも、たくさんのけが人が運ばれてきた。それなのに、世界の注目度は低い。日本でもそうだよね。ウクライナでの戦争は大きく取り上げられているけど、イエメンの現状を知らせるメディアはあまりない。「世界には、報道されていない戦争がまだまだたくさんある」ことを知って、私は大きな衝撃を受けた。

でもね、日々の暮らしの中で、一般の人たちが争っているところを、私は見たことがないんだ。政治上や民族間は対立していても、そこで生活する人々には、敵も味方もない。みんな一様に、終わりの見えない戦争に心を痛め、手を取り合って困難を乗り越えようとしていた。

2015年、イエメンの北部。避難民がお茶をふるまっておもてなしをしてくれた。© MSF
2015年、イエメンの北部。避難民がお茶をふるまっておもてなしをしてくれた。© MSF

これは、MSFの採用現場でも感じることなんだ。MSF日本事務局ではロシア東部在住の人の採用も担当しているんだけど、ロシアとウクライナの戦争が激化してから、MSFにはロシアからの参加希望者が増えた。その動機の多くは、「この戦いは本望じゃない」、「戦争の影響を受けている人のために何かしたい」というものだった。ロシアの人たちだって、戦争が起きていいものだなんて思っていない。どこの紛争地でも、「もう対立したくない」という市民の声をたくさん聞いた。MSFの一員だからこそ知ることができる現場のリアルな声。こういうことを、もっともっと発信していきたいと思っているよ。

文化も考え方も、まったく違う人たちとのコミュニケーション。「難しいけど、面白い!」

MSFでは、プロジェクトが変わるたびに、毎回新しい人たちとチームを組んで医療活動に取り組むんだよね。人間関係に悩むことはない?

うん。たしかに育ってきた環境、常識、考え方…何もかもが違う人たちと一緒に仕事をするから、簡単にはいかないこともあるよ。だけど広い視野で見れば、人間は違って当たり前。難しいと感じるのは、私たちが「知らない」からなんだよね。

たとえば、日本人は「黙っていても分かり合える」と考える文化だと思うけど、それが通用するのって、ほぼ日本だけ。ほとんどの国では、「言いたいことははっきり言う」のが当たり前なんだよね。私たち日本人は、強い自己主張に慣れていないから、びっくりしたり、傷ついちゃったりするかもしれないけど、「これが彼らのコミュニケーションなんだ」と分かると、面白くなってくる。だから「知る」ってすごく大事なことだね。

ケンカすることもある?

あるある(笑)。でも、意見のぶつかり合いに国は関係ないよ。日本人の外科医や麻酔医と大ゲンカしたこともあるし(笑)。だけど私の場合、チームメイトとケンカしても、落ち込んだり、悩んだりすることはないよ。だって、みんな「人道危機に陥っている人たちに医療を届けたい」という、同じ気持ちで集まった仲間だもの。それぞれ、自国で安定した仕事に就けるのに、わざわざ危険な場所に出向いてきている同士。現場でつらいことがあっても、同じ方向を向いている仲間と一緒だから、頑張れるよ。

2015年、イエメンで一緒に働くスタッフたちとみんなで和気あいあいとランチ。© MSF
2015年、イエメンで一緒に働くスタッフたちとみんなで和気あいあいとランチ。© MSF

現地での経験を、人を育てること、人に伝えることに活かす。

現在は現場を離れ、採用業務を担当しているという白川さん。どんなことをやっているの?

今は、MSFの日本事務局で、採用面接や初めて派遣される人のサポート、キャリア相談などを担当しているよ。私は、MSFに入るまでに相当遠回りをしたから、MSFを目指したい人たちの相談相手としてはぴったりだよね(笑)。現場の経験もあるし、入るまでの苦労も分かるから、実践的なアドバイスができていると思っているよ。あとは応募を待つだけじゃなく、MSFに興味を持ってもらうための活動もしているんだ。イベントや説明会を企画したり、医師の学会に参加して、MSFの仕事について紹介したり。あと、あまり知られていないんだけど、MSFのメンバーの半数以上は、実は非医療従事者なんだ。ロジスティシャン(物資調達・援助のインフラ整備・安全管理などの担当)やアドミニストレーター(財務・人事担当)など、MSFでは医師や看護師以外の職種もたくさん募集している。そのことを伝える活動にも力を入れているよ。

2016年イラクにて。国境なき医師団の同僚たちと一緒に。©MSF
2016年イラクにて。国境なき医師団の同僚たちと一緒に。©MSF
将来、MSFや国際協力の仕事を目指すとしたら、今からやっておいた方がいいことはある?

できるなら、語学は早めに取り組んでおいた方がいいと思う。私は英語で本当に苦労したから。もし学生時代に戻れるなら、すぐに語学の勉強を始めるよ。もちろん、英語が苦手だったからこそ、留学という道を選び、たくさんの人と出会えたから、後悔はないけどね。
とはいえ、やっぱり言葉のコミュニケーションはすごく大切。どんなに情熱があっても、現場に行けば現地の人との関係構築やチーム内の人間関係で、ジレンマに陥ることがきっとある。そこで役に立つのは、コミュニケーション力。だから、将来国際協力の仕事に就きたいと考えているのなら、語学の勉強と合わせて、人とのコミュニケーションや関係構築の方法などは、意識しておくといいかもしれないね。

白川さんが、これからやりたいことは?

私は2冊の本を出していて、エッセイの連載もしているんだけど、書くことがすごく楽しいんだ。自分の考えを話して伝えることはちょっと苦手なんだけど、文章にするのは性に合っているみたい。「私の心は、何を言いたいんだろう?」ということをずっと考えて、「あ、これだ!」みたいに、キーワードを探りながら書いているよ。そんな感じだから、執筆にはすごく時間がかかるけど。これからも書くことで、私がMSFで経験したこと、考えたことを伝えていけたらいいなと考えているよ。

※本記事の取材は、2023年6月にオンラインにて実施しています。

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白川さんが伝えたいメッセージ

「本当にやりたいことは、心が分かっている」

自分のやりたいことを探しているとき、頭で考えちゃうと、どうしても「こっちの方が条件がいいし」とか「親に言われたから」とかで判断しちゃうよね。だから、どの道に進むべきかを迷ったときは、いったん心の声を聞いてみて。本当にやりたいことには、心が反応すると思うんだ。
あと「やりたいことは口に出しておこう」ということもアドバイスしておきたいな。私の場合も、「看護師になりたい!」と言い続けていたら、ふっと定時制の看護学校の情報が入って来たりしたから。発信していると、まわりの人が教えてくれたり、有益な情報をくれたりするから、やりたいことが決まったら、どんどん口に出してみよう!

プロフィール

白川 優子(しらかわ・ゆうこ)さん(国境なき医師団(MSF)手術室看護師)

7歳の時にテレビで観た「国境なき医師団」に感銘を受ける。高校卒業後、4年制(当時)の坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校に入学。卒業後は埼玉県内の病院で外科、手術室、産婦人科を中心に約7年間看護師として勤務。2003年にオーストラリアに渡り、2006年にオーストラリアン・カソリック大学看護学部を卒業。その後約4年間、メルボルンの医療機関で外科や手術室を中心に看護師として勤務。2010年、「国境なき医師団」に参加。2018年7月、著書『紛争地の看護師』(小学館刊)、2022年4月に『紛争地のポートレート』(集英社刊)を上梓。2020年10月より朝日新聞デジタルにて、『国境なき衣食住』を連載中。2018年10月より「国境なき医師団」日本のフィールド人事部にて海外派遣スタッフの採用業務に従事。1973年生まれ。埼玉県出身。