コラム 地球規模で生きる人

原畑 実央(はらはた・みお)さん(ソーシャルマッチ株式会社代表)

第1回「やりたいことも、熱中することもなかった私が、世界の社会課題に挑むまで。」

ソーシャルマッチ株式会社は、日本と東南アジアの社会起業家をつなぎ、社会問題の解決を目指す企業です。代表の原畑 実央(ハラハタ・ミオ)さんは、学生時代のバックパック旅行で東南アジアの魅力に惹かれ、会社員を経てカンボジアへ移住。現地の企業で働きながら、貧困や教育問題など、さまざまな社会問題を目の当りにしました。そうした問題を解決するため、26歳で起業を決意。人と人、人と企業をつなげながら世界を飛び回っています。そんな原畑さんですが、実は大学に入るまでは特にやりたいことがなく、熱中することもなかったそう。起業に至るまでに、どんな心の変化があったのでしょうか。全3回のシリーズでお届けします。

原畑さんの仕事って、どんなこと?

カンボジアなどの東南アジアで活動する社会起業家と日本企業を結び付け、さまざまな社会問題の解決に取り組んでいるよ。

原畑さんが立ち上げた「ソーシャルマッチ株式会社」は、どんな会社なの?

ソーシャルマッチのミッションは、「人と人とを繋ぎ社会問題解決に取り組む」こと。そのために今は二つの事業を展開しているよ。一つ目は、東南アジアで活動する社会起業家と、パートナーを探している日本企業をつなぐ「SDGsマッチング事業」だ。

例えば、カンボジアにサミスさんという社会起業家がいる。彼は、障がい者を支援するためのNGOを立ち上げて、食品事業を展開しているんだけど、新型コロナウィルスの流行でお客さんが激減。商品が売れず、「このままでは、障がい者雇用を続けられるか分からない」という状態に陥ってしまったんだ。そこで私たちは、ある企業との協働を提案した。そこは、カンボジアのショッピングセンターで、ギフトショップを展開している会社だ。その企業とサミスさんの団体は、協力してお土産用のドライマンゴーを開発し、ギフトショップで販売することになった。サミスさんの食品工場の受注が増え、障がい者の方たちの雇用を守ることができたんだ。

カンボジアで障がい者支援を行うサミスさんとの写真。
カンボジアで障がい者支援を行うサミスさんとの写真。

二つ目の事業は、世界の学生と、東南アジアの社会起業家をつなぐ「SDGs教育事業」だ。この事業では、社会起業家が抱える課題を学生が解決するというスタディツアーを企画している。例えば、カンボジアでエシカルブランドを展開し、貧困層の女性支援を行っている団体がある。そこの代表のパンナリーさんは、「売れる」商品をつくりたいと思っていた。ロングセラーになるような商品を生み出せれば、より継続的に女性を支援し続けることができるからだ。そこで私たちは、学生の柔軟な発想で新しい商品のアイデアを提案するスタディツアーを企画した。学生チームが考えた廃棄素材で作られたドリンクホルダーはパンナリーさんの会社で商品化され、販売が決定。10日間で約350個の受注が入り、パンナリーさんも、商品を考えた学生も、双方大満足のツアーになった。「ソーシャルマッチ」は、こうしてさまざまな人や企業をつなげ、社会問題の解決を目指しているんだよ。

大学入学をきっかけに、世界が大きく広がった

原畑さんは、どんな子ども時代を送っていたの?

私は、愛媛県松山市で生まれ育って、小学生の頃は毎日公園で走り回っているような元気な子どもだったよ。だけど特別やりたいこともなく、日々、ただ普通に過ごしている感じだったんだ。中学はソフトテニス部、高校は美術部に入ったけど、思い出はあまりない。大学は、地元の私立大学の経済学部に進んだ。経済学部を選んだのは、どんな道に進んでも応用がききそうだったから。将来の目標が見つからない私にはぴったりだったんだ。

そうなんだ!自分で会社を立ち上げて、海外を飛び回っている今の原畑さんからは想像できないね。いつ、どうして海外に興味を持つようになったの?

変化が訪れたのは、大学に入学してすぐだったよ。広々としたキャンパス、オープンな授業、いろいろな価値観を持つ人たち。高校までとは、全く違う世界が広がっていた。人と話すのも楽しいし、勉強も楽しかった。いろいろなことをやってみたくなり、ボランティアサークルに入ってノートテイク(聴覚障害のある学生さんに授業の内容を伝えてサポートする手法)をしたり、英語の勉強をはじめてTOEICで高得点を目指してみたりと、すごく行動的になったんだ。そうして、「日本の大学でも、これだけ視野が広がった。海外に行ったら、どれだけ広げられるだろう」と思うようになって。そのときから「いつか海外に行きたい」という気持ちが高まってきたんだ。

英語は好きだった?

いや、実は英語も、大学に入るまではぜんぜん好きじゃなかった。第一志望の大学に落ちたのも、英語の点数が足りなかったからだと思ってるくらい(笑)。でもね、それも大学に入ってから一変した。教え方がすごく上手な先生に出会ったおかげで、英語の面白さを知ったんだ。みんなで集まって勉強するのが楽しく、海外好きの友だちもできた。英語力が上達してきたから、TOEICの勉強も頑張った。そうしたら大学の助成金を受けることができて、語学留学に行けることになったんだ。

カナダのトロントで受けたカルチャーショック!

すごい!頑張ったんだね。留学先には、どこを選んだの?

カナダのトロントだよ。大学2年生の夏休みを利用して、1カ月半ほどの留学生活を送った。トロントに決めた理由は、「モザイクシティ」とも呼ばれているくらい、いろいろな人種が集まる都市だったから。さまざまなバックグラウンドを持つ人たちに会って、話をしたいと思ったんだ。これが大正解。トロントにはとにかく、あらゆる国の人が集まっていて、会う人、会う人がみんな面白かった。「この人たちともっと話したい」「もっと分かり合いたい」という想いがあふれて、帰国してからも、ビデオ通話やメッセージのやりとりを続けたよ。高校生までの私では考えられない変化だった。

トロントで、思い出に残っているエピソードはある?

意外かもしれないけど、私が最も刺激を受けたのは、日本人の留学生たちからだった。在学中に起業したという学生さんがいたり、「このあとニューヨークに英語を勉強しにいくんだ」っていうスタイリストさんがいたり。それまで、いわゆる“海外で成功したい”という野望を持っている日本人に出会ったことがなかったから、すごく新鮮だった。それで、「私も何かやってみたい!」と、いても立ってもいられなくなって、帰国してからさっそく行動を開始した。東京で国際交流関係のイベントがあると知れば、夜行バスに飛び乗って参加したり、手伝いに行ったりした。また、カナダ以外の国にも行ってみたくて、タイ、ベトナム、カンボジアなどの東南アジアをバックパックでまわるなど、忙しい毎日を過ごすようになったんだ。

学生時代カンボジアを一人旅した時の写真。
学生時代カンボジアを一人旅した時の写真。

社会問題について語り合える学生団体を立ち上げる

いろいろ動き出したんだね!

うん。それから、地元のNPOでアルバイトもはじめた。そこは、東日本大震災の被災者支援をしていて、福島などのエリアから避難してきた被災者の方をサポートしている団体だった。そこで仕事をしながら、被災者の方たちの話を聞くことで、原発問題をはじめとする社会問題への関心が高まっていった。でも、ふと「こういう話題を話し合える場ってほとんどないな」ってことに気づいたんだ。例えば、友だちや先輩に社会問題に関する話題をふると、「急にどうしたの?」って言われちゃったりする。みんなが自由に意見を交わして、気軽にディスカッションできる場があれば、社会問題が“問題”になる前に、止められるかもしれないのに。そう考えた私は、学生団体を立ち上げることにした。社会課題に取り組む起業家の話を聞いたり、イベントを開催して、みんなで話し合ったりできる団体だ。これが今のソーシャルマッチの前身になったんだよ。

学生時代、学生団体の活動でイベントを開いた際の様子。
学生時代、学生団体の活動でイベントを開いた際の様子。
すごいね!大学でいろいろな人と出会い、海外に行って視野が広がったから、挑戦しようと思えたんだね。

そうかもしれないね。いろいろ行動して気づいたのは、私は「人の役に立つことがしたいんだ」ということ。自分のためじゃなく、人のためになることで力を尽くす。それが自分の存在意義だと思った。3年生になって就職活動をはじめた時も、「海外と関われること」「誰かの役に立てること」という2つの軸を大事にして、志望先を選んでいたよ。

大学に入学してから、人生が変わった原畑さん。就職活動からは、自分のやりたい進路に突き進むことになった。次回は、就職から転職、起業に至るまでのエピソードを聞きました。お楽しみに。

※本記事の取材は、2023年11月にオンラインにて実施しています。

<プロフィール>

原畑 実央(はらはた・みお)さん(ソーシャルマッチ株式会社代表)

1992年、愛媛県松山市生まれ。 松山大学在学中に社会問題についてディスカッションする団体を立ち上げ、社会問題を解決しようとする人の講演会や、活動の現場を訪れるツアーを開催する。 新卒ではアリババジャパンに入社し、日本企業の海外販路開拓支援に携わる。その後カンボジア移住し、ソーシャルマッチ株式会社を立ち上げる。